こんにちは、エバコナのカース敦子です。今日はまた私の経験したニュージーランドの教育についてお話したいと思います。
以前書きましたが、私は小学校6年生の途中で日本からニュージーランドにやって来て、こちらの公立学校に転入しました。その後、中学、高校、大学までニュージーランドで卒業しています。私にとってこちらの学校生活は日本での学校生活とは大きく違うものでした。
日本で小学生だった当時は、私はスポーツも勉強も苦手で、性格もシャイでのんびりマイペースだったため、静かで目立たない全然パッとしない子供でした(笑)。そのためか、特に小学校低学年の時は暴力や脅し等を含むかなり激しいイジメに合いました。その後は学校ではなるべく目立たないようにしてイジメから身を守って過ごしていました。
勉強が苦手でのんびりしていて、競争心も、自信も無く、努力もしませんでしたので、当然先生たちにも気にいられることはあまり無く、音楽やピアノの先生等にはいつも叱られていました。小学校のある先生に名指しで「○○さんは頭が悪いから」と言われた事もあったくらい勉強もできていなかったのだと思います(その先生については母が学校に抗議していました)。
当時「不登校」というものはあまり無かった気がするのですが、私は学校は大嫌いでいつも辞めたいと思っていました。しかし、それでも毎日学校にはイヤイヤ通っていました。そんなうだつの上がらない私が小学校6年生でニュージーランドに来て、数年後日本に一時帰国した時、小学校の時のクラスメートに会いました。その子は小学校の時に割合と目立つ子だったのですが、「変わったねぇ」とビックリされたのを覚えています。
今思い返してみると、日本にいた時の私は本当に自分に自信が無く、いつも影の薄い存在だったのだと思います。しかし、ニュージーランドに来てから自分にもっと自信を持ち、以前よりも明るく社交的になれました。それはこちらの学校教育の方針の違いから来るのではないかと今私は強く思っています。
ニュージーランドに来てまず、驚いたのは「自由」が多いという事でした。日本での「規則」に縛られた学校生活を経験していたので、それは驚きの連続でした。また、もう一つ驚いたのは何事も自分からチャレンジしてやってみるという「受け身」では無く、「自主性」を尊重した教育方針であるという事でした。
例えば、こちらの学校では様々な科目で自分で課題やトピックを選んで、それを調べてレポートを提出したり、発表を行ったりというようなプロジェクトを頻繁に与えます。生徒は先生に与えられた「課題」についてでは無く、自分が興味のある課題についてですから、むろん熱心に取り組みますし、一生懸命にやります。 私が覚えているのは中学生の頃、「国語」(English) の授業でそのような自由課題を何度か与えらた時のことです。私は当時ファッションに大変興味があったので、日本の着物について、また西洋のコルセットや中国の纏足についてのレポートを書いてプレゼンをしたのを覚えています。そして自分で選んだトピックだったので、とても熱心に取り組み、出来上がった時は大きな達成感を感じたのを覚えています。
また、スポーツに関しても日本のように全ての生徒が同じ体操をするのでは無く、当時は、それぞれの生徒が自分が好きなスポーツに取り組む事が許されていました。私は毎週水曜日の午後のスポーツの時間には自宅に戻って、自宅で飼っていた馬に乗って乗馬を楽しみました。サーフィンが好きな生徒たちはめいめいその時間友人たちと近くのビーチに行きサーフィンを楽しんだりして、今考えると簡単に学校をサボることができる状態だったのに、学校の先生たちは随分子供たちを信頼していたのだなと思います(笑)。
私はスポーツは苦手で日本で体育は大嫌いな子供でしたが、自分の好きなスポーツをさせてくれる、そしてできない事を批判されない教育に私は自分の個性が受け入れられるという安らぎを覚え、それを通して自信をつけることができました。
高校生になって進路を決める時期が近づいてくると、先生は生徒に進学先の事だけでは無く、実際に世の中に出て自分が何をしてみたいのかということをそれぞれの生徒に考えるように指導してくれました。例えば私の場合はアートやデザインが大好きで、特に当時ファッションが好きでしたので、進路相談の先生が私のためにハミルトンという近くの都市に住む、若い駆け出しのファッションデザイナーを探してきて、その人のところに数日間泊まりに行って仕事を見学させてもらえるように手配してくれました。学校を休んでそんな事をさせてくれるのですからスゴイですよね(笑)。
先日テレビを見ていて大変興味深い番組を見ました。それは最近ニュージーランドの各地の学校で取り組みが始まっている新しい教育方針についてでした。それは「規則を最低限に抑えた学校教育」というものです。例えば学校で木に登っている小学生がいます。それを見た大人はつい「危ないから下りなさい!」と言ってしまうのですが、その小学校の校長先生はそう思ったら大人はそれに背を向けて見ないようにするべきだと言っていました。そう言うと一見「無責任」な大人に聞こえますが、その校長先生が言うには、子供たちにはまず危険な事も含めて「経験」をさせる事が第一だというのです。そして殆どの場合、子供は自分で危険を回避する能力を持っているそうです。そして例えちょっとした怪我をしたとしても、子供は失敗やチャレンジから沢山の事を学び得るのだということでした。
この番組でニュージーランドの総理大臣のアドバイザーを務める教授がインタビューを受けていました。その教授もやはり、子供たちが成長していく過程で危険な事も含めて様々な経験をさせるという事は、子供が大人に成長していく上で大変重要な要素であると言っていました。つまり様々なリスクやチャレンジを経験するという事はそのような困難に対面した時、それに自分で考えて対処をするかという能力を育て精神的な成長を促すというのです。そのような経験を積まないで成長してしまった子供というのは将来大人になって困難な状況やチャレンジに対面した時、対処能力に欠け、自分でそれらを乗り越える精神的な力がつかないのだそうです。
これを聞いた時に私は大変納得するものがありました。私も親になってみて、つい自分の子供に「あぶないから、それはやめなさい!」と度々口にしてしまう親の気持ちが良く理解できるようになりました。しかしながら、それと同時に子供に様々な事を経験させるということの重要性も学びました。自信、自立心、個性、やる気、創造力、忍耐力、持続力、集中力等々子供の様々な能力を育ててくれるのはやはり「経験」なのだと思います。その意味でも私はニュージーランドの学校教育の方針に強い共感を感じています。
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