朝晩が涼しくなりの初秋を感じさせるこの頃ですが、夏の終わりから秋にかけて海釣りには最高のシーズンがやってきました。 毎年、この季節にはライオンズクラブ主催の銛釣りコンテストがあります。そしてコンテストに出された魚はすべてライオンズ基金に寄付されるので、その後でその魚の競り市(オークション)が町の広場で行わます。
私は市が始まると聞くと待っていましたとばかりに勇んで出かけます。目指すはブリの大物(正式にはヒラマサです)。ニュージーランドでは75センチ以下のブリは禁漁なので、競りに出されるブリはみんな1メートル級です。今年も私は目を皿のようにして自分の欲しいぶりに目星をつけました。
1時間ほど待つと、さあ、私のブリの出番です。ライオンズのおじさんが「これは大きいよ。50ドルのスタートでどうだ!」と威勢をつけます。周りの観客たちが「ノー」と即座に首を振ったので30ドルからのスタートとなりました。
値段は1ドルずつ上がっていきます。私も1ドルずつ競り上げていきました。そして私が「42ドル」と提示したところで、ほかの人たちが下りたので、ついにそのブリは私の物となり、私は念願の大きなぶりを4000円ほどで手に入れたのでした。
お金を払い、受け取ったブリの重かったこと!私がよいしょよいしょと大きなぶりを引きずりながら車に運ぶのを見て、通りかかた男の人が手を貸してくれました。そして家に帰ると夫に物置から古い木のドアを出してもらい、それをまな板代りに大魚と格闘です。その日の晩はブリの刺身、ブリの照り焼き、ブリのバター焼きとブリ三昧、残りの切り身は仕分けして冷凍庫に保管しました。後日、ブリのカマをオーブンで塩焼きしたのですが、夫と二人でも食べきれないサイズでした。
3月になって、私が日本から帰国した日には息子夫婦が新鮮なブリの切り身をもってきてくれました。彼らも2回目の魚の競り市でブリを買ったそうで、この季節、私と息子の冷凍庫にはブリの切り身が沢山詰まっています。
そして先日の金曜日には夫の同僚がやってきて、その日、引き潮時に町はずれの船着場で大きなブリがゆうゆうと艀(はしけ)の下を泳いでいたと報告に来ました。それで私たちは引き潮の時間にまた行って艀からブリを銛で捕ろうという事になりました。
艀(はしけ)からの銛釣りですから長い銛が必要です。夫は早速牛を放牧しているパデック(牧草地)から2メートルほどのまっすぐな柳の若木を2本ほど切ってきました。そして古くてさびた鉄の物干しラックを壊して8本ほど鉄の棒を取り出すととがった銛先を作りました。その手作りのとがった銛先を2メートルの柳の棒の先にとり付けて銛は完成。私たちはその銛をもって土曜日の昼過ぎに船着き場に出向きました。
私と犬のベンジーと夫の同僚の息子の3人は二人の男の活躍を静かに見守ります。艀に網を張り、長い銛を持った男たちは勇敢にそして忍耐強くブリの到来を待ちます。長いこと粘りましたが、ブリは一向に姿を現さず、潮も上がってきたために男たちは今回は見送ることにしました。でもこの特製の銛をもって、彼らはまた戻ってくるといっています。
そして不漁のブリ釣から帰ってきたら、鯛が取れすぎたからどうぞと知人が鯛を2匹届けてくれました。鯛の刺身だとほくほくしていたら、次の日、別の人からこんどは鯛と60センチほどの大きなシマアジが届きました。この調子が続くと「また鯛!」などという贅沢なつぶやきが出そうです。
いやはや、私は1週間前に日本からタイムマシンで戻ってきたのかもしれないと思うのでした。
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