「一徹なサンタクロース」
フィティアンガの12月はクリスマス・パレードで始まりました。快晴に恵まれた第一土曜日の朝、消防署裏の公共駐車場には、思い思いに工夫を凝らしたパレード・カーが30台以上も集まりました。パレードは800メートルほど先の町の広場までです。パレードの先頭は、様々なファンシー・ドレスを着て、飾り立てた自転車に乗った町の子ども達です。参加は自由で、パレードの後でサンタからプレゼントが貰えます。その後を各商店や教会、ボランティア団体の車が続きます。今年は流行のニンジャ・タートルを初め、カントリー&ウェスタンバンドやスコットランドのバグパイプ等が賑やかに繰り出し、ポニークラブの馬の隊列や消防車、救急車もパレードに加わりました。沿道で見ている人達には、各車からアメやチョコやおもちゃが投げられ、特に子供連れのところにはアメがばらばらと頭から降ってきます。我が家の子ども達もアメを拾い、ミニチェスゲームやチョコバー等を貰って大喜びでした。
さて、パレードの最後はハイライトのサンタクロースです。今年は赤鼻のトナカイに引かせた特性モーターソリに乗って、颯爽とパレードをしました。去年まではこのサンタはトラックに乗ってパレードをしていましたが、毎年ボランティアでサンタ役をやっているクリフは今年、自費自作で20万円と5ヶ月をかけてこの新しいソリを作りました。彼は、毎年パレードの後で子ども達に配るおもちゃも自費で用意します。今年も女の子用には中国製の小さな人形を買い、奥さんとそれに服を着せ、男の子用にはハリネズミとサンタの人形を用意しました。そして彼の白く長い髭は本物で、毎年パレードが終わるまでは手を入れずに延ばして置くのだそうです。パレードの後で必ず子ども達がその髭に触りにやって来ます。そのたびに「わー、ほんものだー」という子ども達の驚きは、彼の誇りでもあります。また、毎年より良いサンタになるために経験を振り返り、サンタの本などを読んで研究も怠りません。しかし、その彼も深刻なニュージーランドの経済不況の下で、いつまでこうやって自費でサンタをやり続けていられるか近年不安なところです。でも一徹なサンタは、スポンサーを見つける気はありません。サンタクロースとクリスマスをビジネスのコマーシャルにしたくないのだそうです。
一般に若いニュージーランド人は明るくてイージーゴーイングで、物事を余り深刻に受け止めないというのが私の印象ですが、退職した世代の多いフィティアンガにはまだまだこんな人も住んでいるのです。
さて12月半ばでエリア・スクールは夏休みに入りました。学年末の学校は先生も生徒も忙しく、行事に明け暮れました。ニュージーランドのエリア・スクールは、5~7歳ジュニア(2年間)、8~12歳スタンダード(4年間)、12~13歳インターミディエイト(2年間)、13~17歳セカンダリー(5年間)と分かれていて、11月にそれぞれが劇や歌の学芸会をやりました。最後の週には、2日間に渡ってインターミディエイトとセカンダリーの生徒にプライズ・ギビング(表彰式)が行われ、この1年間スポーツ勉強各方面で活躍した生徒が表彰されました。特にセカンダリーのプライズ・ギビングは学校の一大行事で、夜に行われ、普段ラフなスタイルで教壇に立つ先生方が年に一度、この日ばかりはネクタイに背広・ドレスという正装でホールに集まります。儀式が始まると、驚いたことにそのプライズはスポーツではラグビーからサーフィン・スポーツマンシップまで、多種目多岐にわたり、学業の方はクラス別・科目別・総合評価とたくさんの賞に分かれていて、実に、生徒の半数くらいが表彰されていました。中でも、学業ではぱっとしないある生徒が劇の裏方をよく努めたとして表彰されたのには心が和みました。
そして学年度最後の日の夜には、先生方の打ち上げパーティがありました。今年は3人の教師が自宅を開放し、一軒目でドリンク、二軒目でディナー、三軒目でデザートというはしご式パーティとなり、校長を始め、ジュニアからセカンダリーの教師が一同、夫婦揃って集まりました。私生活では校長も教師も父兄もまったく同等のこの国ですから、その日も全員で大いに飲み、大いに食べ、大いに歌い、三軒を移動しながら無邪気に屈託無く大騒ぎをしました。
理想の教師像とやらに縛られず、自然な素顔が出せるニュージーランドの先生達はやはり明るく開放的です。
【翌年1991年にはこのサンタのおじいさんが5ドルの宝くじで数千万の大金を当てたそうです。これは先のローラに続きこの小さな町フィティアンガで2人目です。これで彼も当分心配なくサンタを続けられることになりました。】
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