る美さんがエバコナに留学したのは2019年の5月のことでした。日本の公立の小学校で24年間仕事をし、ベテラン教師として情熱を持って仕事に取り組んできたる美さんでしたが、時代と共に子供たちを取り巻く環境が変化し、特に近年になって変わっていく子供たちのニーズに自分がついていけていないと感じ悩みはじめたそうです。自分は新しいものが提供できなくなった、自分には新しいアイディアが無いという気持ちにもなってしまい、遂に教職を辞める決心をします。そんなる美さんに昔の教え子であった女子生徒とその保護者が留学を勧めてくれます。その女子生徒は過去にエバコナに長期留学をしたことがあり、その経験からる美さんにエバコナへの留学を勧めてくれました。彼女の話を聞いたる美さんはついにエバコナの一般英語コースで3ヶ月間勉強することを決心し、はじめての海外留学に期待と不安を抱えて日本を飛び立ちました。
ニュージーランドに到着してみると、新しい体験の連続で、まさに「目から鱗」の連続だったそうです。到着して間もなく、校長のマクリーンと話をしたる美さん。日本の教育現場で自分が経験した葛藤について相談した際、マクリーンが言った一言がる美さんの心を解放してくれたと言います。それは「枯渇したのよ」という一言だったそうです。それまで自分自身を見つめる暇もなくひたすら仕事に没頭してきて、いつの間にか自分自身の固定観念に自分をしばってしまっていた事にその時はじめて気が付いたと言います。そして、マクリーンにもっと自分を解放するように、ニュージーランドで新しい体験を沢山してみるように勧められます。
マクリーンに背中を押されてニュージーランドの教育現場を見学したる美さんは日本の教育現場との大きな違いに驚きます。日本の学校では常に教師が「教育者」という立場から子供たちを「指導する」「教える」という考えで、一方通行の教育だったとる美さんは気づいたそうです。例えば「協調性/社会性」というものを子供に教えようとしたときに、日本では集団で子供たちを座らせて静かに話しを聞かせる、周りの人の迷惑にならないように指導をし、間違った事をしたら教師が「注意をする」という形で教育が進められたそうです。
しかし、ニュージーランドの教育現場を見た時に幼稚園の時から一人一人の子供の「個」を大切にして教育をしている事に驚きます。協調性を含む社会的スキルも子供一人一人が「体験」を通して学んでいくものであるという考え方で、教師は子供が体験的に学んでいく事を見守ります。例えば子供が喧嘩をしていても、すぐにそこに教師が介入せず、子供同士でそれを解決するのを教師が見守る。このような教育現場を見てる美さんは自分は日本では大らかな教師だと思っていたけれど、自分が子供を枠に入れていたのだと気づいたと言います。
またホームステイ先でもホストマザーが自分の幼い孫に対して常に選択肢を与え、自分で考えさせ、選ばせるという事をしたり、子供の失敗に注目するのでは無く、子供が良い事をした時に褒めて導くという大らかな教育をしていることにも驚いたそうです。ニュージーランドでは小さい頃から自分は何をしたいのかと考えさせるためみんな自分の意見や考えをしっかりと持って成長しているという事に気が付き、逆に自分自身がそれをして育って来なかったために自分が何をしたいのかが決められないのだと思ったと言います。そしてそのために自分の存在価値が見いだせず肩書に頼ったり、立派な事をしなければいけないという固定観念に縛られていたと気づき、そうした過去の自分に向き合うことができたそうです。
また、る美さんは日本の教育現場では失敗をしても良いと口では言いながら、いざ子供が失敗をするとそれをどうやって乗り越えていくのかという的確な声掛けが教師としてできていなかったと言います。失敗を経験することで人間は体験的に成長をしていくというニュージーランド教育の考え方を見た時、自分自身は「失敗をしないように」という生き方しかしてこなかったからだと気が付いたそうです。
ニュージーランド留学でとことん自分自身と向き合い、教育の在り方を考えたる美さん。刻一刻と変わっていく子供達を取り巻く環境、日本の未来をつなぐ子供達に今どんな教育が必要なのか、自分のできる事は何なのか。一人の教育者としてる美さんは今日も自分と向き合い、日本社会と向き合っています。
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