これは昨年日本に帰国した一人の生徒が帰国前のエバコナ体験感想シートに残したコメントです。エバコナでは帰国する生徒全員に感想を書いてもらうのですが、そのほとんどが「楽しかった」「是非また来たい」「海がきれいだった」「アクティビティーは最高だった」などポジティブなコメントです。私は見慣れない「ちょっと祈りすぎ」のコメントを見て、「あっ!あの子だな」と思いました。
2001年にエバコナをスタートして今年で20年になりますが、私はこれまでエバコナに来るたくさんの思春期の生徒たちのカウンセリングをしてきました。特に長期のエバコナ留学生にはゆっくりと時間をかけて話していくうちに子供たちは少しずつ心を開き自分の問題を話し始めます。「自分に自信が持てない」「自分の将来が見えない」「親の仲が悪いので家にいずらかった」「親からの期待に押しつぶされそうだ」などなど。そこで私が気づいたのは「親が一方的に子供を愛しているつもりでも、なんと多くの子供がその親によって傷ついていることか」ということでした。
あるケースでは父親に離婚された母親が鬱気味になり、親の離婚は自分のせいだと子供が感じて苦しむという事もありました。また親ができの良い兄弟といつも比較するので「自分はダメなんだ」と自分を責めているという例もありました。私はその都度、親も人間で必死で生きていることを説明し、子供は親の人生の責任は取れないことを話します。そして大事なことは子供が自分らしい道を見つけて社会で生き生きと活躍していった時に、親は心から喜ぶだろうとも話します。その道が親の期待に添わなくてもいずれ分かると。しかし、時によっては子供の心の傷が深く、そうした助言以前にまず彼らを「あるがままに受け入る」必要があると感じ、また子供の悲しみがあまりに深くて言葉で慰めようがないと思うとき、私はその子供に許可を得て祈らせてもらうことがあります。
私は自分がクリスチャンであることを話し、その生徒の事を神様に祈りたいと話します。多くの場合、みんな「お願いします」といいます。そして私はだいたい次にように祈ります。「主よ、Aさんと今このような話ができたことを感謝いたします。私はあなたがAさんを特別な役目をもってこの世に送られたと信じます。どうかAさんがその個性を生かし社会で活躍していけますようにお導きください。そのためにもAさんが今通っている人生経験が大切で、これが将来必ず生かされ益となることを信じ、感謝して受け取ります。ありがとうございます。アーメン」。
祈りの後、ほとんどの子供たちは心持ち表情が和らいで「ありがとうございました」と言って私のオフィスを去っていきます。でも「あの子はちょっと違っていたな」と私は思い出しました。大人への不信が拭えず、気持ちがアップダウンするので、私は滞在中に何回か祈りのマジックをしたのでした。
あの子にもいつか私の祈りの意味が届くことを祈りつつ、私はエバコナを通っていく一人一人の生徒たちのために祈り続けていこうと思っています。「一人一人の子供たちが自分の個性に気づき、それを生かして生きていくようになりますように」それはエバコナが掲げるニュージーランドの教育基本理念でもあるのです。
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