ニュージーランドは3月の末からコロナによる緊急事態レベル4が宣言され、全国がロックダウンとなりました。そのためにエバコナも急遽すべての授業をオンラインに切り替え、レベル3になった今も生徒たちはそれぞれのホームステイでオンライン授業を受けており、少なくともこれは5月の半ばまで続きます。そのために 私も今はスタッフや生徒との日常のかかわりがなくなり、自宅から電話とメールで仕事をしています。こんな事態は私の長い人生の中でも初めてで、最初はちょっと戸惑ったのですが、自宅で静かに過ごすうちに私は「人生を見つめ直す思わぬ時間」が与えられたことに気づきました。
まず、自宅から出られないので 私は運動のために毎日犬と一緒に庭を歩くことにしました。幸いなことに私の家は田舎なので敷地だけはわりと広く、川を挟んだ隣には大きなにファームも続いています。私は毎朝、シダや常緑樹の茂る林の中や川に沿った小道を犬と歩きながら祈り、賛美歌を歌うことにしました。そうしていると歌いながら歩く私の周りをファンテールという鳥がついてまわることに気が付きました。ファン(扇)テール(尾)はその名のごとく尾羽を扇のように広げながら愛らしく私の周りを飛び回ります。また時に私は川の水辺にしばらくたたずんで木々を眺めたり、水のせせらぎに耳を傾けたり、飛び交う鳥たちの様子を目で追います。自然の中で一人たたずんでいると、自然と調和した安らかな気持ち包まれます。そして今では毎朝、犬も鳥も庭の植物も近隣の自然も私との時間を待っているかのように感じるようになりました。
そして私は尊敬するピーター牧師がその御本の中で語っていた「宇宙賛歌」のことを思い出しました。「鳥の声も一つでない、てんでに好きな時に歌っている。波の響きも風の音も、全く自由奔放。それぞれの音は独自に発声されているのに‥‥自然が奏でるシンフォニーには全体としての調和がある」と、そして「野原で一人主を礼拝していても、・・・・・・・木や草や周りの自然と一緒になって主を礼拝しているのです。意識をキリストに集中する時、周りのものと息を一つにすることを意識するのです。呼吸を一つにするのです。」と。今、まさに私は先生が書かれていることを体験しているのだと感じ、自然との時間の中で私の心はまったき平安に包まれます。
これまで日々の仕事に没頭していて、こんなに身近に自然の中で生活しているのに自然と一体になるなどと感じる暇もなく生活してきたのですが、ここにきてこんな時間が与えられたことに本当に感謝です。
1日の間には世界のニュースや動きがテレビやインターネットを通して入ってくるのですが、今の不穏な動きに対して、私がこの自然との時間を通して確認したことは、「今は静まって生きる時」ということです。英語で言うと「Be still」。周りの状況がどんなであろうとも、今は一人一人が静かに自分を見つめ直し、これまで追われてきな現実の問題を静かに外から眺め直す時。
そして私は授業がオンラインになったことで人の輪が国境を越えたことを今回実体験しました。というのは今年の4月初めにスタートしたエバコナの高校準備コースの学生たちの6人は国境封鎖のためにまだ日本から出られないのですが、今、彼らはすでにニュージーランドにいるクラスメイトと一緒にオンラインで授業に参加しているのです。すごいですね。
さあ皆さん、コロナはチャンスです。第2次世界大戦後、日本がどん底の国情、経済からのし上がったように、今は静まってコロナ後のより良い世界を模索しようではありませんか。宇宙の自然はおのずと調和を保って生存しています。そして私たちがその宇宙の調和を体感するとき、私たちは人類がどう生きるべきかを知るのではないでしょうか。
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