安田海人くんが留学をしたいと思ったのは中学生の頃だったそうです。マルタ島に1週間程の短期留学をするチャンスがあり、外国の自由な空気を吸って、世界は広い、英語を話せるようになってもっと海外に行きたいと強く思うようになりました。もともと日本の学校が嫌いだったわけではなかったのですが、彼にはディスレクシア(読み書きに困難を感じる発達障害の一種)があったためにみんなと同じにできなければいけないという雰囲気の日本の学校では、ディスレクシアに対する理解もあまり無く、一部の人から時に「障害者」のように見られたりすることもあり、また学校では勉強ができない生徒とレッテルを貼られる事もあったそうです。
そんな海人君がニュージーランドに留学してからは自分のやりたい事を選んで勉強できる教育システムとディスレクシアを理解し、それを彼の個性として受け入れてくれる環境の中で、まさに籠に入れられていた鳥が外に飛びだしたように自由に生き生きと活動を始めます。ニュージーランドの高校では自分の得意な実技科目で実力を発揮。海洋学のダイビングコースではクラスのトップになり優秀賞を受賞。エンジニアリングのクラスではゴーカート、モーターバイク、4WDのバギー等様々なものづくりに取り組み、高校のエンジニアリングの先生から才能を見出されます。海人くんは地元のエンジニアリング会社でも高校の授業の一環としてインターンシップを体験。そのエンジニアリング会社の社長にも才能を高く評価されました。自分が得意な事を徹底的に追及できるニュージーランドの学校システムの中では、平均的に全ての科目ができるようになることを目指すのでは無く、才能が偏っていたとしてもそれを個性と受け止めて伸ばしてもらえる環境なので、ニュージーランドに来て海人くんの才能は大きく開花しました。また、苦手な読み書きは高校でできたニュージーランド人の友達もずいぶん助けてくれたそうです。続きを読む