東京生まれ東京育ちの恭子さんは東京で銀行員として働いていましたが、仕事がハードで残業も多く、激務だったため、健康面で不安を感じるようになったそうです。また長く実家に住んでいたこともあり、新しいことにチャレンジしてみたい、外の世界を見てみたいと強く願うようになりました。そして考えた末、思い切って海外へ出ることにします。仕事を辞めてニュージーランドに来た恭子さんは3か月間エバコナの一般英語コースで勉強をしてくれました。ニュージーランドでは大好きな海や自然に囲まれた環境で、趣味のマラソンを自分のペースで楽しんだり、ロッジではじめての一人暮らしも体験する等自分のやりたいことに次々と積極的にチャレンジします。そうした生活を通して自分の気持ちに正直に生き「イエス」や「ノー」をはっきりと言うことの大切さ、またチャンスをつかむためには積極的に「今」動くということの大事さに気が付かされたそうです。
エバコナ生は今:大塚一馬くん 「地域活性化から日本の未来を築く(1)」
一馬くんがエバコナに留学してくれたのはもう10年以上前のことです。日本の大学を卒業して、23歳の時に海外に出てみたいと思いエバコナに11ヶ月程留学してくれました。自然に囲まれ、のんびりとして大らかなニュージーランドの生活環境が一馬くんにはあっていて、ニュージーランドではとても楽しく過ごせたと言います。また、その間色々な人との出会いもあって違った考え方や生き方にも沢山触れ、自分自身がどうやって生きたいのかという事についても考えさせられたそうです。その後日本に帰国してしばらくはアルバイトをしますが、どうしても日本での生活が忙しくて窮屈に感じてしまった一馬くん。そのため、自分にもっとあったライフスタイルを求めて再び海外に目を向けます。そこで見つけたのがパラオでのツアーガイドの仕事でした。日本人観光客の多い、南太平洋の島パラオで4年程日本人観光客のためのツアーガイドとして働きます。パラオはニュージーランドと同じようにのんびりとしたリラックスした環境で、自分のペースで自分らしく生き生きと仕事ができたと言います。しかしその後、結婚を期に医療機関があまり充実していないパラオを後にする決断をします。続きを読む
Doing からBeingの時代へ
以前ブログ記事で書かせて頂いた「風の時代」というテーマについて今回また少し記事を書いてみたいと思います。
風の時代の到来と共に今までは自分がやったこと(達成したこと/成果)Doingにフォーカスする時代から自分の生き方(ありのままの自分を生かしこの世に貢献する)Beingの時代へと世の中がシフトをしていると感じています。最近過去のエバコナ生についてのブログ記事を書かせてもらい、何人もの生徒をインタビューする中でそれぞれの生徒がニュージーランドで教育を受け、留学という経験を通して自分をしっかりと見つめ、自分が世の中に貢献出来る事は何かと考えて生きている姿を見てとても嬉しく感動しました。
2年ほど前にニュージーランドの各地域でエバコナの高校留学生のサポートをしてくれている日本人スタッフたちがエバコナテムズ校に集まり交流会をしました。十代というのは子供から大人へと身体に変化が起きる多感な時期であり、様々な問題にも直面する時期です。そのような生徒たちの精神的なケアというテーマについて話し合いをする場を持ちました。ちょうどその時、私たちの日本の教会から伝道の方が来られており、その方にゲストスピーカーとして話をしてもらいました。その時の話のテーマがDoingとBeingについてでした。続きを読む
エバコナ生は今:安積宇宙さん「社会の隔たりと向き合って」
宇宙(うみ)さんは2011年3月11日に起きた東北地方太平洋沖地震による地震・津波と 原発事故の後にお母さんと放射能からの避難としてニュージーランドに来ました。宇宙さんのお母さんの安積遊歩さんは骨形成不全症という障害を持って生まれた方で、日本で長年障害者の自立のために社会運動をしてきた人です。遊歩さんとエバコナの校長のマクリーンは長年の知り合いで、そのご縁で宇宙さんは日本の中学を卒業した後、ニュージーランドの高校卒業を目指してエバコナの高校準備コースに入学してくれました。宇宙さんもお母さんと同じ骨形成不全症を持ってるので、2011年3月に母娘は日本から彼女たちの友人と一緒にニュージーランドに引っ越して来ました。
宇宙さんは日本では父親の運営するフリースクールの小学校に通ったのですが、そこはとても自由な環境だったので、自分のペースで勉強をする事ができたそうです。そしてその小学校で経験した自分の学びたい事を追求するという学習スタイルが好きで、お母さんの強い勧めもあり、宇宙さんは高校はニュージーランドで教育を受けることになりました。そして1年目のエバコナ高校準備コースを修了してから、次年度にニュージーランドの高校2年生に編入したのですが、「自分の学びたいことを追求できる」ニュージーランドの高校の教育方針は最初から彼女にピッタリ合っていたそうです。特にHealth(保健)やGeography(地理)の科目が好きで、自分で選んだトピックについて調べてレポートを書く事がとても楽しかったと言います。また高校時代に出会い親しくなったニュージーランド人の友人たちと関わる中で、一見外からは問題は無いように見える子たちでも複雑な家庭環境だったり、それぞれ違った悩みを抱えて生きている事が分かり、その経験が大学に進学した際、Bachelor of Social work (社会福祉の学位)を勉強したいと思うようになったきっかけだったそうです。続きを読む
エバコナ生は今:藤沢雄太くん「世界を旅して、自分を見つけた青年」
藤沢雄太くんがニュージーランドのエバコナに留学したのはもう16年前の事になります。日本の学校ではいつも周りと合わせなければいけない、みんなと違っていると疎外感をを感じ、それが自分には合っていないと感じ、もっと自分の知らない世界を見てみたい、自分と違う価値観の人たちに会ってみたいと強く願うようになり留学を決心します。そして雄太くんは中学を卒業して2005年にエバコナの高校準備コースに入学しました。それから1年間エバコナで英語力をつけながら11年生(高校1年生)を学習して、翌年2月の新学期から現地高校の12年生(高校2年生)に編入します。雄太くんは現地高校では大変積極的で海洋学を勉強してダイビング免許を取ったり、ニュージーランドで有名な高校生の体験プログラムであるSpirit of New Zealandというトリップにも参加しました。これはニュージーランド全国の高校から集まった40人の高校生が大きな帆船で10日間ニュージーランド近海を航海するプログラムです。雄太くんはそのトリップを通してチームワークの大事さを学び、また様々な価値観の人々と出会って素晴らしい刺激を受けたと言います。旅から戻ってきた雄太君は校長のマクリーンに「素晴らしかった!俺はこの旅に参加するためにニュージーランドに来たのだと思った」と言ったそうです。続きを読む
エバコナ生は今:坂上千明さん 「真のグローバル人材とは、留学を通して論理的で客観的な視点を学んだ」
千明さんは日本の高校1年生の時にニュージーランドの高校に留学することを決めました。入った高校は進学校だったので、高1の最初からみんなが良い大学を目指していて、千明さんはそのような固定観念に同調できず、学校での勉強にも身が入らなくなり、この環境は私には合っていない!と心の中で叫んでいたそうです。そしてしばらくするうちに学校にも行けなくなってしまいます。心配したご両親は様々な選択肢を提案してくれたそうですが、その提案の中の一つに留学という選択肢があったのだそうです。ご両親にしてみればあくまでもそれは選択肢の一つで国内にいてほしいと願っていたのですが、そのご両親の気持ちとは裏腹に千明さんははじめから留学するという選択肢に強く惹かれます。
そしてついに日本の高校を辞めてニュージーランドのエバコナの高校準備コース入学することになりました。留学1年目のエバコナで千明さんは日本の高1にあたるニュージーランドの高校11年生の単位を勉強して取得し、翌年、現地高校の12年生(日本の高2)に編入します。千明さんがニュージーランドにきて一番驚いたのは文化や考え方の違いだったそうです。特に2年目に編入したニュージーランドの高校ではそれぞれの生徒が自分の好きな科目や学習分野を自分で選び、自分のペースで勉強ができます。この教育システムは日本の進学校を経験した千明さんにとってあまりに真逆の考え方で大きなカルチャーショックだったそうです。続きを読む
エバコナ生は今:飯島拓也くん 「自分らしい生き方を求めて、大海へと泳ぎ出した少年」
飯島拓也くんはわずか14歳で東京都心部から人口4000人のフィティアンガにあるエバコナに留学してきました。日本ではすでに小学校の頃から学校に馴染めず、学校が好きではなかったそうです。学校での机上の勉強や教えられる理屈や理論に対して「どうしてそうするの?」「なぜそうなるの?」という疑問が常に浮かんでしまい、自分が納得できないうちに授業が進んでしまうため、学校ではまったく勉強についていけなくなってしまいます。まるで走っている車から突き落とされたように、気が付くと学校では自分だけ取り残されてしまったそうです。拓也くんは教科書や本から学ぶのが苦手で、実践的/体験的に物事を学ぶのが得意な少年でした。
学校ではクラスの勉強についていけず、毎日通ってはいたものの学校が面白く無く、そんな状況でご両親とぶつかることも多かったそうです。そんな行き詰まりを感じていた拓也くんは中2の時に思い切ってニュージーランドのエバコナ留学へと踏み出しました。ニュージーランドに来た拓也くんは最初の3か月はまずエバコナの一般英語コースで英語を勉強し、その後で現地中学校に編入することになっていましたが、案の定、エバコナでも初めから教室での英語の勉強をについていけず、全く教室に入ろうとしませんでした。そんな拓也君の様子をしばらく観察していたエバコナの校長マクリーンがゲーム感覚でやれる英語教材をくれ、彼はしばらく自分のペースでそれをやるということも試してみました。そして校長はその時にたまたま日本から来た小学生グループがニュージーランドの小学校体験をするというプログラムに拓也君をかりだしました。そこで拓也君はその日本の小学生グループのリーダー的な仕事をさせてもらい、マクリーン校長も驚くほどのリーダーシップを発揮します。言葉なしでも現地の人となんとかコミュニケーションをとってしまう拓也君を見た校長は彼はは英語力はなくとも生活力があるので直接現地校に入ったほうが良いだろうと判断します。そしてその後すぐ、拓也君は英語力なしのままで中学部に入ることになったそうです。続きを読む
エバコナ生は今:西田圭織さん「留学で得たコミュニケーション・スキルを生かす、若きマネージャー」
圭織さんが留学を考えたのは中学生の時だったそうです。中学1年生になっていじめにあい、学校ではなにかと友人関係で悩む事が多かったという圭織さん。そんな時に地元の新聞でニュージーランドでホームステイするという短期留学プログラムのキャンペーンを見つけます。もともと引っ込み思案で留学なんて大それた事は自分にはできないと思っていたそうですが、学校生活に行き詰っていた圭織さんは思い切って留学にチャレンジする事にしました。結果、この留学体験によって圭織さんの視野は大きく広がります。世界は広い、自分は今まで小さな世界しか知らなかったと気がつくと日本で悩んでいた友達関係の悩みが小さな事に思えるようになり、心が楽になったと言います。そして中学校を卒業する頃には長期留学をしたいと強く思うようになりました。15歳で海外へ行くのは早すぎるとはじめは反対をしていたお父さんですが、そんなお父さんを説得し、圭織さんは中学卒業後にニュージーランドのエバコナの高校準備コースに留学することができました。続きを読む
エバコナ生は今:伊藤大智くん 「本当の自立と自由を見つけた青年」
日本では小学校から中学校まで大変自由な校風の私立校に通っていた大智くん。留学には以前から興味があったそうですが、中3のときにたまたまお友達のお姉さんから留学エージェントを紹介され、そこで初めてニュージーランドの高校留学の話を聞いたそうです。そして長年ニュージーランドの教育にかかわってきたそのエージェントさんの話にすごく納得し、通っていた私立校の高等部には進学をせずエバコナの高校準備コースに入学することを決めました。
1年目のエバコナを卒業して、大智くんがニュージーランドの高校12年生(高校2年生)の新学期に編入して驚いたのは自分の好きな科目を選んで勉強できるという教育システムだったそうです。日本で行っていた私立校も自由な校風でしたが、それでも決まった科目をみんなが学習しなければいけないという日本のカリキュラムに沿っており、それに対して自分の好きな教科を選んで学習できるニュージーランドの高校システムは最初から大智くんには合っていたそうです。大智くんは特にビジネスに興味があり、高校ではビジネスの科目を勉強しました。そして13年生のビジネスの授業では数人のクラスメートと輸入ビジネスの起業企画を立てました。このプロジェクトに一緒に携わったクラスメートとは今でもとても親しく、定期的に連絡を取り合って会ったりするそうです。続きを読む
エバコナ生は今:井上るりさん 「パニック障害と向き合って、人生を大きく変えた留学」
るりさんは18歳の時にエバコナに留学をしました。高校受験で頑張り過ぎたるりさんは燃え尽き症候群になり、ノートを開けたりペンを持つだけでパニック発作を起こすようになってしまったそうです。同時に自律神経失調症も発症し、学校に行くことが苦になり学校に行けなくなってしまいます。そんな状況で自分の部屋で過ごす事が多くなり、高校3年生の終わりになってしまいます。周りのお友達はどんどん進学先を決め自分の道を見つけていっているのに自分だけがやりたいことも見つからず、取り残された気持ちになったるりさん。そんな時、親に助けを求められないような遠いところに行ったら今の自分を変える事ができるかもしれないという思い湧いてきて留学を決断したそうです。続きを読む