以前ブログ記事で書かせて頂いた「風の時代」というテーマについて今回また少し記事を書いてみたいと思います。
風の時代の到来と共に今までは自分がやったこと(達成したこと/成果)Doingにフォーカスする時代から自分の生き方(ありのままの自分を生かしこの世に貢献する)Beingの時代へと世の中がシフトをしていると感じています。最近過去のエバコナ生についてのブログ記事を書かせてもらい、何人もの生徒をインタビューする中でそれぞれの生徒がニュージーランドで教育を受け、留学という経験を通して自分をしっかりと見つめ、自分が世の中に貢献出来る事は何かと考えて生きている姿を見てとても嬉しく感動しました。
2年ほど前にニュージーランドの各地域でエバコナの高校留学生のサポートをしてくれている日本人スタッフたちがエバコナテムズ校に集まり交流会をしました。十代というのは子供から大人へと身体に変化が起きる多感な時期であり、様々な問題にも直面する時期です。そのような生徒たちの精神的なケアというテーマについて話し合いをする場を持ちました。ちょうどその時、私たちの日本の教会から伝道の方が来られており、その方にゲストスピーカーとして話をしてもらいました。その時の話のテーマがDoingとBeingについてでした。
その話しのメッセージは「人は見られているものとなる」という事でした。つまり人は必ず「神に見られている/信じられている姿になる」という事です。たとえ外から見える姿がどんなに痛んで傷ついていても、問題を抱えてボロボロだったとしても、その一人の存在の一番深いところを信じてくれている存在があるという事を理解した時、その人に接する自分自身も変えられるという事です。
人が人を本当に信じるというのはとても難しい事です。人の良いところだけを見るというのにも限界がありますし、ポジティブシンキング(前向きに物事をとらえる)ということにも限界があると思います。しかし、どんな人も本当に求めているのは自分のあるがままの存在を受け入れてもらえる愛であり、存在しているだけで良い、欠点も長所も全てをそのまま受け入れてもらえるということです。しかしそれを実践するのは人間には本当に難しいと思います。例えば、結婚生活を経験されている方、一緒に暮らすパートナーの非というものがどれだけ目につく事か・・(笑)たとえあるがままを受け入れなければと頭では分かっていたとしても、それを本当に実践するのは難しいですよね!(笑)
これは自分自身に対しても同じですし、親子関係でもそうではないでしょうか。私も親になってみて、自分がどれだけ不完全な人間なのかという事を日々考えさせられます。自分が子供だった時は、自分の視点から親の失敗や間違いを強く批判したものです。しかし、自分が親になってみて逆の立場になってみると自分の失敗に後悔する事が本当に沢山あるのだという事に気が付きました。そして人間なので、「自分を変えなければ」と強く思ったとしても絶対にまた失敗をするのです。そんな私をいつも支えてくれるのが、ある知人の母親が自分の娘に言ったという言葉です「あなたは私を一生ゆるしてくれないかもしれない、でもイエス・キリストは私をゆるした」。人をゆるすよりも自分をゆるすほうが本当はずっと難しいのだと思います。だからこそ、完璧な人間はこの世に一人もいないけれど、自分はそれでもゆるされありのままを愛されているという確信はその人の存在の深い癒しです。
私という不完全な母親も、そして私を批判する子供も神がありのまま愛してくれていると信じた時、私は正直に子供に「私も失敗をする、あなたも失敗をする、でもどんなに沢山失敗をしてもあなたも私もありのままで愛されているのだよ」と確信を持って言う事ができます。
聖書の言葉に次のみ言葉があります。All things will work together for good「全ての事は(マイナスな事を含めて)その人の人生の為に益となる」と言うみ言葉です。人は自分の生まれてくる環境は選べません、更に自分の生まれ持った性格、能力、身体、そしてこの世に生きる時間さえも選ぶ事はできません。しかし、全ての事には意味があり、そうなるべくしてそうなっているのだと深く理解した時にそこに自分自身の存在そのものへの癒しがあるのだと思います。
この事を理解した時に私たちは本当の意味で「自分の生きる道/生きる意味」を見出す事ができるのではないかと私は思っています。
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