自己紹介
小学校教師の娘として東京都の23区内で生まれ育った私ですが、生まれて間もなく父は西多摩郡の成木村(現在の東京都青梅市成木)にあった小学校に赴任したため、私はのどかな山奥の村で両親と共に1年半ほど過ごしたそうです。赴任中は校舎内に設けられていた教員住宅に住んでいたので、父の授業中はヨチヨチと教室に出没し、すこし知恵遅れだった一人の少年が授業より私の子守をかってでたそうで、私はその子に負ぶわれてよく野山を散歩していたそうです。当時の写真には清らかな川の流れに座って遊んでる私や暖かい日差しをいっぱいに受けた農家の広い縁側やその前に広がる畑の景色などがあります。
その幼児期の自然に触れた経験が感覚として残っているのでしょうか。私は都会生活が嫌いです。都会 で育ち、ニュージーランドに来るまではそこで生活していたにもかかわらず、私は人込みや都会のビル街や緑の少ない空間にどうしてもなじめなかったのです。ですから1989年に5歳、9歳、11歳の3人の子供を連れて、人口たった2500人の海辺の町フィティアンガに移った時、私は本当に生き返りました。都会生活への未練は全くなく、日々新鮮な喜びでワクワクして生活を始めました。移住当初から2年間にわたって日本ニュージーランド友好協会の会報に書いた“フィティアンガ便り”にはその時の感動を綴っています。
その後、日本人の夫と離婚し、ニュージーランド人の夫と再婚し、私の生活はどんどん変化していきました。移住してからはじめた高校の日本語教師の仕事は充実しており、高校にやってくる私費留学生のサポートの仕事も受け持ち始めました。その発展上でニュージーランド人の夫の強い勧めを受けて、後に私は日本人留学生のためのサポートを目的とする語学学校を開くに至りました。その頃の話は“続フィティアンガ便り”として書いています。
私にとって“教育”というのは興味のつきない課題です。乳児の育て方を始め、幼児期の教育、行動を通して学ばせる体験教育、個性を伸ばす教育、シュタイナー方式などなど、ニュージーランドに移住して以来、私は様々な教育を実体験するチャンスを与えられてきましたが、その一つにニュージーランド人の夫に教えられたニュージーランド式父親の教育があります。私が子育てをしていたころの日本は父親は会社人間、母親は専属の養育係という分業社会で、父親の存在は家庭ではとても薄いものでした。ところが私が再婚したニュージーランド人の夫は私の慣れ親しんだ母親一辺倒の家庭教育に真っ向から反対したのです。それは私にとっては青天の霹靂!そのエピソードは“日本人ママとキーウイー義父さん”というタイトルで毎日エデュケーションのコラムで連載されたのですが、今回、私のブログでも紹介しています。
そしてまたニュージーランドに住み始めて以来、これまでに私はたくさんの方々からニュージーランドのことについて質問を受けてきました。それは教育にとどまらず、社会の仕組み、ニュージーランド人の物の考えかた、ニュージーランドの英語、人種問題などなどで、私はそうしたことも折に触れて書き綴ってきました。毎日エデュケーションのコラムや中国新聞の“海外便り”に送ったそうした記事もブログに掲載しました。
そしてこれから私が発信していくお話しを“EVAKONAエバコナ学校便り”としました。エバコナとは私の経営する語学学校の名前です。この名前はEVA と AKONAという二つの言葉が合わさって出来ています。EVAエバ(エヴァ)という言葉は 船井幸雄さんの書かれた“エヴァへの道”という本で知った言葉です。その意味は“一人一人の人が幸せになれば社会が良くなる”という意味だそうです。AKONAアコナというのはマオリ語で“学ぶ”という意味です。“一人一人の人が幸せになるように学ぶ”それがエバコナの学校理念です。後に洗礼を受けて それが神の願いでもあると信じるようになりました。そのエバコナで日々繰り広げられるお話を折々ご紹介していきたいと思います。
私が2008年に洗礼を受けクリスチャンになったことは冒頭のページにも書きましたが、信仰を得て私の人生観は変わりました。神は一人一人の人に計画をもっておられる。一般的に言われる個性は神の計画によって与えられており、私たちはすべてに完璧な人間になる必要はない。それぞれがこの世における自分の役割、立ち位置を知って、神に感謝して生きればいいのだと気付いたのです。このブログでは私の信仰のジャーニーも折々綴っていきたいと思います。
というわけで、これまで私が書き溜めてきたものを読んでいただくことで自己紹介とさせていただき、これから私がこのブログに書いていくものを読んでいただきながら、皆様と私の新しい体験をシェアしていきたいと思います。コメントは大歓迎です。
このブログを通して主の願いがなりますように。アーメン