今回の伝道は去年に続く2回目のニュージーランド伝道でした。
去年はフィティアンガの6つの教会との合同礼拝というイベントがあり、娘の敦子と孫のリナが再洗礼していただき、私の学校のスタッフの沖津可奈子さんがテームズのリーダーになることを決心するなどニュージーランドの小さな子羊の群れはあふれるほどの喜びの中でスタートしました。
そして今年の伝道は鈴木康志さんから“2回目がとても大事なのです。今回は他教会との交流はしないで、しっかりと子羊の群れの土台を作る”と言われていました。
さて、2月20日の夕方、鈴木康志さん、村西さん、保澤さんがオークランド空港に到着され、その夜、私たちは空港の近くのモーテルでオークランド集会を持ちました。
参加者は私とテームズのリーダー沖津可奈子さん、オーストラリアのパースから駆けつけてこられたリーダーの山原さんご夫妻、オークランドのリーダーの渡辺えり子さんご夫妻、去年、再洗礼を受けたオークランド在住の日隈公子さんでした。
この1年の間で、子羊の群れとしてはリーダー同士でも、仕事上ではボスとスタッフの関係である私と沖津さんの間には仕事上の大きなひずみができており、二人ともそれに蓋をした状態で今回の最初の集会に臨みました。またパースから来られた山原さんご夫妻も体調をひどく壊されており、私にとっては 何か去年のわくわくしたスタートとは違う伝道のスタートでした。
ところが集会の中で村西さんが話されたスペイン伝道の地下聖堂の話や地下の者が賛美を吸い取った話あたりから、誰もが心の中に持っている開かずの地下室の話になり、そのあたりからめいめいの心の地下室に主のヒカリが当てられ始めました。私ははじめ他人事のように聞いていたのですが、鈴木さんのお話で、私も開かずの地下室を抱えていることに気づきました。なんという驚きでしょう。そのうえ私も沖津さんもそれぞれが地下室にしまい込んで無視していた問題ゆえに仕事上の大きなひずみになっていたことに気づきました。集会の後、私と沖津さんほとんど寝ずに話しあいました。その晩は地下室を開け放つことはできませんでしたが、確実にその扉は開き、私たちは 地下室が主の光にさらされる喜びに感謝しました。
この“心の地下室を主のヒカリにさらす”という最初の集会は参加者すべての心に深く触れ、またそれは今回の伝道の目的である“ニュージーランドに子羊の群れの土台を作る”ためにはまずしなければならないことだったと、主の的確な導きに今さらながらに驚いています。この最初の集会にだけ参加された日隈さんからも後日電話があり、あの集会から素晴らしいメッセージを受け取ったという感想を聞きました。
次の日の21日は沖津さんのテームズ集会でした。エバコナのテームズ校には放課後にやってきた7人ほどの日本人高校生と一人の日本人の先生が集まりました。高校生たちは最初は
あまり集会に乗り気でなく、特にユダヤ人を義理の父に持つという名古屋から来ている高校生は最初からたいへん懐疑的な表情で座っていました。でも鈴木さんが“伝道者の僕を困らせるような質問でもいいから聞いてください”と言うと、その子は“僕は宗教が大嫌いなんです。だって宗教戦争をして、自分たちの主張を通すために殺しあったり、矛盾している”と発言しました。その他の子供たちも宗教に懐疑的な発言が目立ちましたが、鈴木さんが
一つ一つクリアーに答えていくうちに、子供たちの表情はみるみる変わっていき、最後には帰るのを忘れて鈴木さんを囲んで話し込んでいました。そして宗教と信仰の違いがクリアになったのでしょうか、名古屋の少年も宗教は嫌いだけれど、神様は信じていると言って帰っていきました。
そして22日の土曜日にはエバコナのフィティアンガ校で勉強している留学生と地元の高校に留学しているの学生たちの集会が私の家で行われました。テームズ集会より女の子の出席が多かったので、鈴木さんは“今日は結婚式について話します”と言われて、話し出されました。ここでは神の無条件の愛について話され、あるがまま、そのままの相手を受け入れて愛するという話をされました。若者たちは熱心に聞いていたのですが、特に、その日の集会のランチサービスを手伝いに来ていた私の息子と結婚したばかりの奥さんの愛美さんが後ろの方で熱心に聞きいっていました。そして愛美さんは“すごくいいお話でした”と感動を述べ、学生たちがみんな帰っていった後、息子と愛美さんは鈴木さんから洗礼を受けました。これまで私は息子には私の信仰のことを話していたのですが、愛美さんには話したことがなく、洗礼に抵抗があるのではないかと勝手に思っていたのですが、むしろ息子より先に洗礼を決意したので驚きました。ニュージーランドの子羊の群れの土台が主の御計画のもとに着々とと準備されつつあることを感じました。
そして、その日の夕方は賛美の夕べを持ちました。娘の敦子の大学時代の親友のイズメがクライストチャーチからこの日のためにやってきました。イズメは大学で建築学を学び、バリバリと働いているキャリヤウーマンですが、数年前に中国人の女性と結婚したレズビアンです。そして結婚後に癌をわずって手術をしたという事でした。何年ぶりかで 私の家に入ってきたイズメをみて、そのやつれた様子に私は驚きました。彼女が心の地下室に抱えているものは大きく、もう扉が閉まらない状態という印象でした。
賛美の夕べで、静かに賛美の響きに耳を傾けるイズメの心は少しずつ癒されていくようでしたが、その後で鈴木さんと話をした時にイズメは主に触れられ号泣し続けたそうです。私はその晩にイズメの表情が変わったことに気づきました。
23日の日曜日は11時から礼拝が始まりました。その日は保澤さんが鬱からいやされた証をされることになっていました。礼拝にはイズメのほかに、敦子の地元の友達のアンジェラ、私の友人のマドリンとジョン夫妻も出席したので、去年よりもニュージーランド人の顔ぶれが増えました。保澤さんの証は鈴木さんの同時通訳によって英語で語られ、明るく屈託ない様子で淡々と語られる保澤さんの主の癒しの証は出席者全員の心を打ちました。そして合間ごとに歌うラテン語の賛美も初めてのニュージーランド人もそろって歌っていました。そして最後に鈴木さんのトンバックの伴奏で保澤さんが“イスラエルの牧者よ”をソロで歌った時には、みんな思わず拍手をしてしまいました。本当に心に染み入る美しい礼拝でした。
礼拝の後はみんな賛美の余韻に浸っているようで、アンジェラもこんな礼拝の経験は初めてと感想も漏らし、マドリンもラテン語の賛美の響きがなぜかとても懐かしい、なんて美しい響きなのと感動していました。そしてイズメの心の地下室にも今回の伝道を通して主は確実に触れられたと私は感じました。クライストチャーチに戻っていくイズメに別れのハグをすると“マミー、ここに呼んでくれて本当にありがとう”と言って去っていきました。
今回の礼拝にはそのほかにも何人かのニュージーランド人に声をかけていたのですが、あいにく都合が悪く来れませんでした。でもいつの日かニュージーランドでも賛美の喜びが満ち、たくさんのニュージーランド人がこの賛美の信仰に導かれることを私は信じています。
24日には鈴木さんによる聖研とリーダー会を持ちました。パースから来られていた山原さんご夫妻は今回は年1回のの日本旅行を返上してフィティアンガに来られたそうで、ニュージーランド伝道には最初からすべて参加されました。今回はオークランド、テームズ、フィティアンガ、オーストラリアのパースのリーダーが一堂に会したことになります。リーダー会では“賛美ですべては整えられる”“キリストの愛だけでいい”子羊の群れの信仰の原点について話し合いました。オセアニアのリーダーたちは普段はそれぞれが一人で主に向かっているという状況なので、私自身はともすると信仰の独りよがりにならないかと危惧することもあるのですが、それだけに毎月送られてくる“ぶどうの木”や“さんびの風”を読むことはとても大事でした。でも今回のリーダー会で鈴木さんに風の教会のスタッフにはいつでもメールや電話で相談していいと助言を頂き、頻繁に現状を連絡しあいながら本部の人々とつながっていくことで信仰の家族がなっていくという事を知りました。テームズのリーダーのの沖津さんはこれを機に保澤さんに1日に1回、御言葉を一つ選んで、自分のコメントを添えて送るという約束をしました。そして、伝道以来、私はロマ書の一節を毎日書くという事を始めました。今はフィリップ訳の英語を書いているのですが、驚いたことに、ただ読んでいた時とは違い、御言葉の持つ意味がもっとはっきりと分かる気がしています。
今回の伝道は特に私と沖津さんにとって大変意味のあるものとなりました。最初にも書きましたが、私たちは同じ信仰を持つがゆえに、仕事上の経営者と部下であることに苦しんでいたのです。私は沖津さんと私が信仰の友として同列であるべきと信じるあまり、経営上のボスである自分を主張できないジレンマに陥っていました。ところが主はそうした問題に光を当てられ、不思議なほどこの伝道中にいろいろな問題が、それも鈴木さんの目の前で表面化する事になりました。鈴木さんの助言を得てたくさんの話し合いの末、ついに私たちはビジネスと信仰が両立するという新しいチャレンジに向けて歩き出しました。
また、夫に信仰をとことん反対されている娘の敦子にとっては同じ経験を通られた村西さんは素晴らしい助言者でした。今、娘は信仰に関しては夫におもねることをやめて、固く信仰立つことを決心しました。今回も鈴木さん、村西さん、保澤さんを通して主はたくさんの恵みをオセアニアのリーダーたちに届けてくださいました。心から感謝しています。
ニュージーランドの地から賛美の喜びが爆発する日が来ることを祈りながら、主を賛美し続けたいと思います。
ニュージーランド、フィティアンガより マクリーンえり子
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