こんにちは。
エバコナのカース敦子です。先日エバコナで若者集会をしました。今回のテーマは「愛」。今回は女子生徒から「恋愛」について話したいというリクエストがあったためです。
まず、三浦綾子の「愛すること信ずること」というエッセー本から「本当の愛の形」という文の一部を読みました。その中では人間の「愛」がどこまで「不完全」であるかという事が書かれていました。「本当に愛する」とは自分の一番大切なものを相手にあげられるということではないかと書かれており、そうだとすると自分の命を相手にあげられるという事ではないかという話しが書かれていました。
しかしながら、多くの場合それはとても難しいことです。相手のためには自分の命も惜しくない程愛していると心から思っていたカップルが・・・実際に悪い人たちに襲われたりすると片方が命からがら逃げて生きのびてしまう・・・これが多くの場合現実であるというお話等が書かれていました。若い子には全く夢を壊してしまうようなお話ですね(笑)。
でも実際に夫婦でも、例えば2つリンゴがあって、一つのほうが美味しそうな大きなリンゴであったら、つい自分が先に美味しそうなほうをとってしまう・・・こんなことは無いでしょうか(笑)?いつでも、相手に、そして他人にも「良いほうを」「美味しそうなほう」をあげることができる人は本当に偉いですよね。私なんて食い意地とエゴがあまりにあり過ぎてなかなかできません(笑)。
そのあと、マクリーンが人間の愛は夫婦の愛よりも、多くの場合子供に対する愛のほうがまだ本当の愛に近いのではないかという話しをしましたが、それは本当にそうかもしれないなと思いました。親は本能的ではあっても多くの場合、自分の子供は命がけでも救おうとしますが、これが夫婦の場合、どうでしょうか(笑)?
そこから「本当の愛とは?」という話しになりました。聖書の中でイエス・キリストが無罪でありながら十字架につけられた際「彼らは何をしているのか分からないのです」と言われて、自分を殺そうとしている人間たちのために神に許しを請うたというお話があります。自分を殺そうとしている人間までも「愛する」ことができるというのは究極的な「愛」ですが、ここまで行きつくのは本当に難しいことだと思います。目の前のリンゴでさえ相手に与えることができないレベルでは・・・あまりにレベルが低すぎですね(笑)。
また、そこからどうしても嫌いな人がいた場合、どうやって許したら良いのかという話しにもなりました。これは多くの人が現実生活の中で直面する問題ですが、「許し」ということも「愛」の大切なレッスンではないかと思います。マクリーンが子供達に「感謝をする」という事が実はこのような問題にどれだけ効果があることであるかという話しをしました。
例えば、大嫌いでどうしても耐えられない人がいた場合、心の中で「このチャレンジをありがとうございます」とか「この人を通して私は何かを学ぶチャンスを与えられていることに感謝します」等と言うということ。そうすると、不思議なことに自分の思考が変わり、不思議に問題が解決に向かうという話しをしました。
その後聖書のコリント第1の手紙の13章の1節から13節の「愛」についてのところを読みました。
「愛は忍耐強い。愛は情け深い。ねたまない。愛は自慢せず、高ぶらない。礼を失せず、自分の利益を求めず、いらだたず、恨みを抱かない。不義を喜ばず、真実を喜ぶ。すべてを忍び、すべてを信じ、すべてを望み、すべてに耐える。
(中略) それゆえ、信仰と、希望と、愛、この三つは、いつまでも残る。その中で最も大いなるものは、愛である。」
ここに書かれている「愛」を生きることができたら素晴らしいですが、それは本当に難しいですね。私達一人一人が、夫婦関係、親子関係、友人関係等、様々な人間関係を通して「愛」について日々学んでいるのではないかという話しを生徒たちとしました。
そこで、同席していたマクリーンの弟(私の叔父)が「恋」と「愛」の違いについて少し話してくれました。彼は「恋」は暖かい晴天の日のようだけれど、「愛」は台風や嵐や大雨のような沢山の困難を乗り越え、時間をかけて作り上げていくものではないかという話しをしてくれました。その意味で「恋」と「愛」というのは全く別のものだという話しをすると若者たちは一生懸命に聞いてくれました。確かにはじめから「愛」というものが分かっている人はとても少ないのではないかと思います。
その後、マクリーンが夫婦の愛の話の例として鳥とカエルの話をしました。鳥とカエルが恋に落ちて結婚したとしたらどうなるかという話しです。鳥は飛びたい、カエルは地面ではねたい、そんな二人も最初は一緒に暮らせるように道を探すと思うけれど、それはとても困難になってきます。でも飛ぶ鳥も跳ねるカエルも両方とも間違っていないし、そのままで神様に必要とされている。でもお互いの違いを受け入れるのにとても最初は苦労するだろうという話しをしました。このようなチャレンジも「愛」の学びの一つですね。
最後にハリール・ジブラシーンの「結婚について」の詩を読み、「結婚」であっても、常に人はそれぞれ別々であり、一緒でありながらも一人で立ち、それぞれが自分の人生を生きるものだという話しで集会を終わらせました。若い子には「重く」夢を壊してしまうような内容だったようですが(笑)それでも真剣に聞いてくれたのはきっと誰もが本当は「本当の愛」というものを強く求めているからではないでしょうか?期待していた「恋バナ」にはなりませんでしたが(笑)、子供達が「愛」について考えるチャンスになればと思っています。
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