みなさんこんにちは、エバコナの学生サポートのカース敦子です。
今世界中が新型コロナウィルスの脅威にさらされ、沢山の国で自主隔離、自粛を余儀なくされていますね。ご存知の通りニュージーランドでも3月25日から4週間のロックダウンとなり、全国民が自主隔離生活をしています。そんな中で、私も自宅で仕事をしながらの隔離生活を送って3週間近く経ちました。その間、 必要なスーパーの買い出しで家を出たのはたった2回だけです!
ずっと家で過ごしてみるとシンプルな生活の中に忘れていた小さな喜びが沢山ある事に気が付きました。先日友人もFBに投稿していましたが、普段仕事と家庭両立の中、多忙な日々で小さな事に喜びを見つける心の余裕がなかった。けれど、今こうして家で過ごしてみると、今までお金を貯めて家族で海外旅行に行く事を夢に必死で働いていたけれど、その必要が無かった事に気が付いたそうです。今家で家族と過ごす何も無い静かな時間こそ自分の求めていたものだったと気が付いたのだとか。
この何もする事が無い時間って不思議なものですね。現代社会ではみんな忙しくすることが当たり前、少しでも空き時間があると何か予定で埋める事を自動的に考えませんか?今はボーっとする退屈な時間って大人にも子供にも珍しい時代ではないでしょうか?
ニュージーランドの幼児教育では子供にとって「退屈な時間がある」のはとても重要だと言っています。子供は退屈な時間から自分で考えて自発的に/自主的に行動する事を学ぶからです。常に大人からやる事を与えられている子供は受け身で想像力や自発力/自主性を学ばないそうです。
また最近読んだ教育関係の日本のブログ記事では子ども自身が求めるものをすることによって、夢中になり、達成し、挫折を味わい、そして壁を乗り越えることで、「やり抜く力」(持続力/粘り強さ)を育ててくれるのだそうです。ニュージーランドの幼児教育は子供の自発性/自主性を育む教育が教育の根本になっています。
さて、ここで私の息子の幼稚園からの報告書(Learning Journal)にあった可愛らしいストーリーを一つシェアしたいと思います。ある日先生が幼稚園の園庭で子供達とお掃除をしているとき、園庭に落ちていた古びた木を拾ってひっくり返すと沢山のカタツムリが出てきたそうです。一時的に興味を示していなくなる子が多いなか、息子は1時間以上そのカタツムリを観察し話しかけてみたり、先生に質問を投げかけたり、自分が発見した事を言ってみたりしたそうです。この時、先生は息子に大人の視点から科学や生物的な知識を一切教えようとはせず、息子が子供の視点で持った自然への興味や疑問を本人の自発的な学びとして尊重してくれました。
あくまでも見守るというスタンスで息子の投げかけた質問にも答えを与えるのでは無く一緒に考えるという姿勢で本人が自分で考える時間を与えてくれました。この経験を通して息子は思考力、集中力、表現力、想像力、粘り強さ等様々なスキルを身につけているのです。ニュージーランドの幼稚園はこのように完全に子供主導/子供の自主性にフォーカスをしたカリキュラムになっており、この理念は小学校、中学校、高校と貫かれています。子供が大人の介入なしに自発的/自主的に何かをやり通す事から学ぶ事は私たちの想像以上に重要なのだと強く感じます。
最近出会う日本のお子さんで自分に自信をなかなか持てない子、何をやりたいのか、何が自分は好きなのか、何か得意なのかが分からないというお子さんを頻繁に見かけます。しかしそれは彼らが好きな事が無いのでは無くて、あまりにも周りの大人に言われた事をするという生き方に慣れ過ぎてしまい、自分が本当は何か好きなのか、何をしたいのかという事を考えるチャンスが与えられ無かったからなのではないかと思います。
先ほど述べた教育ブログにも、子供達がこのように日々自分で決めて行動するという繰り返しが実はその子の人生の羅針盤を作っていて、その経験が無いと人生のあらゆる場面で進むべき方向を自分で決められない人間になってしまうと書かれていましたが、本当にそうだと思います。
この隔離生活/自粛生活のお陰で子供達は何も無い退屈な時間を思いっきり工夫して楽しんでみるチャンスを与えられました。大人から見て子供がただ好きな事をして遊びほうけているように見えたとしても、そこから得る成長があるとしたらこの時間は大人にとっても子供にとっても大きな学びのチャンスではないでしょうか?この際、大人が子供に対して自分の思う「こうするべき/こうあるべき」という固定観念から自分を解き放ち、子供をもっと解放してあげた時に子供にも大人にも驚くような気づきと成長があるかもしれません。
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