手作りの国際交流
沿道のそこかしこには黄色いアカシアの花がひときわ明るい彩りを添え、9月になるとフィティアンガはすっかり春めいてきました。フィティアンガの公立校MBASでは国際交流で忙しかった3学期も終わり、学校はもうすぐ2週間の春休みに入ります。例年7月半ばに始る3学期は特に日本語を選択するMBASの学生にとって一番忙しい時期です。8月になると毎年、京都の京北町から8人の交換留学生が10日間程やってくるので、その間、学校では日本語を選択する生徒たちを中心に国際交流の催しが色々と行われます。
今年も8月18日から27日まで京北町が選んだ8人の中高生が2人の先生に付き添われてフィティアンガにやってきました。到着日、オークランド空港に一行を出迎えたのは4年前にやはり長女をこの京北町の交換留学に出したドットさんです。陽気なドットさんの運転するミニバスにゆられて3時間、一行は長旅の疲れも見せず元気にフィティアンガにつきました。そこで待っていたのは8組のホストファミリーでした。今年の受け入れ家族もほとんどがMBASの父兄で、そのうちの3家族の3人の高校生は9月の春休みに交換留学生として京北町を訪れます。
交換留学生はもちろんのこと、多くのホストファミリーにとってもこれは初めての“異文化体験”です。事前説明会では「 家には箸がないけれどナイフやフォークは使えるかしら」 「ベッドで大丈夫?」 「何を料理したらいいかしら?」などと質問を受けました。また、私からも「日本人は音をたててお茶を飲みますが、これは日本では許されるマナーです」だとか、「日本語のイエスとノーは時々英語と反対ですのでご注意 」などと説明します。こうして受け入れる方も来る方以上に“未知との遭遇”への期待と好奇心に満ちていました。
交換留学生の滞在中、私たちは色々な催しを企画します。今年はホストファミリーと一緒にホット・ウォーター・ビーチ(掘るとお湯の出る浜)での親睦ピクニックを皮切りに、学校では正式なマオリ式の歓迎を受け、それからの一週間は学校でニュージーランド人の生徒と一緒に授業をうけ、スポーツをし、骨細工や海釣りのようなアクティビティもしました。、夜は夜で数々の催しが行われましたが、その夜の催しの中で特に留学生が楽しんだのは学校の体育館で行われたディスコでした。 普段の制服とは打って変わって、それぞれに着飾ってやってきたニュージーランド人生徒たちに混じって、その晩8人は踊り通しました。「楽しい!」「日本の学校でもこんなことしたい」といい名残りの尽きない夜になりました。
そして10日間は飛ぶようにたち、ついに別れの日がきました。すでに本当の家族のようになってしまったホストファミリーと涙の別れを告げて帰っていった8人。それはホストした側にとっても貴重な体験と思い出になりました。
毎年この日本への交換旅行を実現するにあたって、フィティアンガのMBAS側では、その年に行く学生とその親、私たち交流に関わる教師は半年に渡る資金集めの活動をおこなっています。最初の年、私たちは日本食レストランを開き全部で150食の食券を売りましたし、またある年は毎週末、町角でソーセージや手作りビスケットやすしを売りました。その他にも籤券を売ったり、ライオンズクラブに手紙を書いたり、毎年、知恵を出し合い子供も親も先生も一丸となって行います。今年もライオンズなど2つの団体から寄付金が下りることになり、努力の結晶で集めたお金をあわせて1人あたり5万円の補助金ができました。円高のおりこれはニュージーランドの学生にとって貴重なお金です。
9月17日、ついに3人のMBAS高校生がオークランドから京都の京北町に向かって飛び立ちます。建国たった150年の国に育った彼らが日本の長い歴史をどのように受け止めるか、私は密かに楽しみにしています。
コメントを残す