牛のいる生活
私達は9年前からフィティアンガの町中の10エーカー(40470㎡)の小さなファームにすんでいる。ニュージーランドでは10エーカーの農場といえばライフ・スタイル農場あるいは趣味農場といわれ、規模からして農場としての生産性はあまりなが、人によってはそれを上手に生かしてビジネスに結び付けているケースもあるようだ。
我が家の場合は最初は乗馬用の馬を飼う目的で購入した土地だが、乗馬を楽しんでいた娘が大学に行ってしまい、私も仕事に追われるにつれ、馬は売られ、数年前からは常時牛を10頭ほど置いて牧草の管理をしている。
酪農国ニュージーランドでは牧草を伸び放題にしておくことはできない。そして家畜に食べさせられない毒のある雑草も定期的に駆除して牧草を管理しなければならない。たから私達も本職の側ら、ファーマーとして毎日牛を移動させ、雑草を駆除するという生活を続けてきた。
私達が飼っているのは1年ものの肉牛で、たいがい生まれて乳離れしたものを買ってきて1年から1年半育てると売ってしまう。それ以上大きくなると体力もでてきて、フェンスを破ったりするので、町中の極小ファームではちょっと維持が難しい。
牛を飼い始めてニュージーランドでは牛が色々な名前で区別されていることを知った。乳牛はカーウ、生まれたての子牛はカーフ、雄牛がオックスぐらいまでは分かるのだが、乳離れしたものはウィ-ナ―、1年ものはイヤリング、去勢した雄の肉牛はスティアーズ、メスの肉牛はヘファーズ、去勢していないオスがブルなどなど、これは羊や馬も同様で色々な名前で区別されている。
そんなわけで我が家ではホワイトフェイス(顔の部分が白い種類)のスティアーズとへファーズをウイ-ナーの時に買って、イヤリングにして売るということをしているわけだ。
一見、草を反芻して1日中モグモグやっているだけに見える牛だが、飼ってみるとなかなか面白い。牛は広い牧草地に入れておくと牧草のつまみ食いをするので、我が家では夫が毎日移動用フェンスを動かして一定量の囲いの中で牧草を与えている。それで毎日時間がきて、夫の姿をみると全員がまさに走り寄ってきて彼の後ろを付いて歩く。その様子は“これからご飯だ!”という期待に満ちた子供のようだ。また時に餌がもっと欲しいとモーモー鳴いて夫や私にせがむ。だからせがまれたくない時には私達はなるべく顔をみせないようにする。そして牛は意外と好奇心が強くて知らない顔が庭にいたりすると、ぞろぞろと近くのフェンスまでやってきて見物したりする。
フィティアンガの町では毎年大晦日に海岸で花火が打ち上げられるのだが、牛たちは花火が大嫌いだ。だから毎年、花火が始まると夫はパディックにでて牛たちと時間を過ごす。夫がそばにいることで牛たちは安心するのでパニックしてフェンスを破って町に繰り出さないようにする為だ。
去年の暮れ、家には乳離れしたばかりのウイ-ナーが18頭いたのだが、案の定、大晦日の花火が始まるとパニックムード。夫はしばらく彼らと一緒にいたが家に戻ってくると、「今年のはまだ子供なので周りから聞こえてくる音楽の騒音にも怯えているようだ。一緒に寝てやろう」という。そこで私たちは車用のトレーラーをパディックの真ん中に持ち込んで、そこに薄いマットレスと寝袋をしいて野外簡易ベットをしつらえ、もぐりこんだ。すると子牛達は安心したように私達のトレーラーを囲んで寝仕度を始めたではないか。まさに親に守られて安心した子供のようだ。
お蔭で私と夫は寝ながら花火を楽しんだ後、空に鳴り響く音楽をききながら満天の星を仰いで2003年の新年を迎えた。
それは牛がもたらしてくれたほのぼのとした年明けだった。
「続フィティアンガ便り」はエヴァのホームページ www.evakona.jp にも載っています。
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