日本に過疎はない
4月初めから2週間ほど日本を旅してきました。今年は異常な暖かさで、どこも桜の花が散りかけていましたが、それでも何とか最後の花見に間に合いました。ニュージーランドから日本を訪ねていつも思うのは多くの人口を抱えているのに日本はいつも整然としていて美しい国だなということです。特に日本の田園風景にはニュージーランドの牧場の風景には無い美しさと情緒がありいつも感動します。また日本のどこに行ってもトンネルや橋などの現代技術がその自然の景観を損なわぬよう上手に配置されているのにも感心します。
以前、私は夫と日本の過疎部落を訪ねたことがあります。その桃源郷のような美しいい山間の部落へはJRの駅から車で一時間程かかりましたが、その間、人家が見え隠れしながらもあとをたたず、また部落までの道は完全に舗装されていました。隣家まで山道で10キロはあったというニュージーランドの牧場で育った夫にとってそれは驚きだったようで「日本に”過疎“はない」というのがその時の彼の印象でした。
そんな日本に比べるとニュージーランドの自然はトンネルも立派な橋もほとんど無く、またいったん都市部を出れば国中が過疎のようです。ここフィティアンガでも大きい病院のある隣町テームズまで車で飛ばして約1時間半、途中、人家のない山道が長く続きます。そして道路も幹線を外れるとすべて砂利道です。そして公共の交通網としてはテームズ経由オークランド行きのバスが日に2便、オークランド直行の早朝シャトル便が1便、オークランドとフィティアンガの空港と繋ぐセスナ機が2便といったところです。ですから日本から飛んできたお客さんがまず聞くのは“町に病院がなくて大丈夫ですか。”とか“電車が走って無いんですか、不便じゃありませんか。”とかいった質問です。でも 「郷に入れば郷に従う」で、私たちはちっとも不便を感じません。病気も怪我も緊急の場合はすぐにヘリコプタ-がオークランドから飛んできますし、私たちにとって自家用車を飛ばしてオークランド日帰り(約550キロ)などは日常のことです。また学校ではシーズン中は毎週土曜日にサッカーやラグビーなどのトーナメント試合がありますが、それはテームズ半島全域に点在している学校間の対抗試合で、クラブに属する子供たちは毎回、車で往復3時間かけて他校を訪問し合い試合を続けています。人口の少ないニュージーランドではそんなことも日常的なことです。
そしてまた一方では自家用飛行機で飛び回っている人もいれば、もう一方では自転車でオークランドやハミルトンなどまで行く人もいます。私の息子も自転車組みで、15歳ぐらいの時から自転車でハミルトンの友達の家を訪ねるなどということをやっており、去年もウエリントンの大学からフィティアンガまであちらこちら回りながら900キロの道を自転車で戻ってきました。さすがにそんな人は多くはありませんが、それでもこうした生活感覚の違い、個性尊重の生活様式をみていると、ニュージーランド人の生活にはいったい既成概念というものが存在するのだろうかという疑問がわきます。夫は「それなりにあるよ」と簡単にいいますが、こちらに渡ってきて13年、私にはいまだにそれらしきものが見つかりません。
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