月に1回、土曜日の午後に私の自宅で“聖書を通して生き方を考える会”というのをしています。 集まるのは私の娘とその子供2人、エバコナの先生2人と、その一人が連れてくる子供2人、そして娘の友達と私の友達が合わせて3人ほど。 全員集合すると大人7人と子供4人になります。でも大人が全員集合することはほとん どありません。子供たちはほとんど皆勤賞。
1月の第3土曜日には今年初めての会をもちました。今回は大人4人と子供4人が集まりました。娘の友人は前日にお母さんが倒れたという事で来れなくなり、“みんなで母のために祈ってください”と言うメッセージが届きました。
私たちは毎回始める前に賛美歌を歌います。今回はシンプルな旋律の“ジーザス”を歌いました。この歌はジーザス、アーメン、キリエ・エレイソンとい う3つの言葉を同じ旋律で繰り返して歌います。“キリエ・エレイソン”とはラテン語で“主よ憐れみたまえ”。この歌が大好きな5歳の孫娘が張り切って歌っ たので、別の3歳半の少女も歌いたいと言い出し、みんなで何度か繰り返して歌いました。
今回のテーマは“自分が完璧な母親になれないくて、自己嫌悪に陥る”“自分が自分の母親の嫌な部分をそっくり受けつでるのに気付いてぞっとする”といった若い母親たちの葛藤に焦点を当てて話しました。
私と娘が属する教会のピーター牧師の書かれたものににそのトピックについての興味深い話が合ったので、まずそれを読みました。
ピーター師は多くの家 族が引きずる“負の連鎖”について語っています。ワンマンで暴力的だった父親をもった息子が気が付けば、自分もまた同じような父親となってしまったり、そ うした父親を見て“絶対ああいう人はとは結婚しない”と思って結婚した娘が、男性不信をぬぐえずに自分の夫に不信感をもつことが止められなかったり。多く の人がそうした家族が引きずる傷を代々抱えていると師は書いています。
そしてピーター師はある日、夢を見たそうです。彼の住んでいた大きなアメリカの家 で、地下室から変な臭いがしてくるのに気付き、彼は地下室に下りていきました。すると地下室は汚いごみが埋まっていて悪臭を放っています。驚いて師は地下 室から飛び出しドアを閉めました。でも彼はその時に気づきます、この地下室は彼の汚れた心の地下室だと。そして勇気をもって掃除しようと もう一度地下室に下りて行くと、こんどはどこからか大きなホースが現れて、あっという間にすべてのごみを洗い流してくれたのだそうです。そしてなんとそこ に現れたのは輝くばかりの固い岩だったそうです。彼はこんな汚かった自分を聖霊の水が清めてくれたこと、自分の足元はいつも神の堅固な岩が守ってくれてい た事を知ったそうです。
私たちはその話を読んでそれぞれが考え話し合いました。その中で私の友人が“私は英国国教会の家に生まれて幼児洗礼を受けて育ち、学校はカトリッ ク。そこで再洗礼を受けたけれど、カトリックの厳しい学校ではディスレクシアだった私は認められず落ちこぼれだったの。 ニュージーランドに来てからは長老 派の教会に行くようになったけれど、規制の教会はどれも本当の信仰から離れてしまっているわ。 神は一人一人に計画を持っていて、直接私たちに働いて導いて くださっていると私は信じているの”と言いました。
確かに私たち人間は負の連鎖を引きずりながら間違いを犯し続けて生きているけれど、それを直接洗い流 し、守ってくれる神がいることを信じることは何という救いだろうと私は思いました。
不思議なことに話の分からない小さな子供たちはこの集会が大好きのようです。毎回、この地の平和や許しを模索する大人たちの思いが彼らの心に響くのでしょうか。
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