7月末から8月にかけての一週間、フィティアンガのマーキュリーベイ・エリアスクール(MBAS)に、東京の啓明学園から高校生が15名やって来ました。啓明学園は、この5月にスコットとヘレンとキャサリンが1週間お世話になった学校です。それはまた、ここフィティアンガで語学学校を経営するモーリス・カービー氏が、在日中に2人の娘さんを通わせていた学校であり、東京に住む私の姪が現在通っている学校でもあります。フィティアンガに住む一部の住民と啓明学園のそんな関係が発展して、5月にはMBASの3人が訪問する事になり、また今回の学校ぐるみの交流ともなったわけです。
啓明学園の15人の生徒達は、それぞれMBASで日本語を選択する子供達の家庭にホームステイをして、朝夕スクールバスで通学し、一部MBASの授業に参加する一方で、毎日カービー氏の語学学校で特別に英語の授業を受けました。ニュージーランドの子供達に交じってスクールバスで通う15人の顔は、新しい経験に毎日とても楽しそうでした。
ところが、実はこの交流に対してMBAS側は最初からとても消極的でした。この話がカービー氏のビジネスを通して来たこともあり、保守的なMBASの校長は大いに戸惑いました。結局今回は、国際交流に力を入れる啓盟学園が、ほぼ公式に訪問してきたのに対し、MBAS側は、担当した科学の教師と私が、日本語に携わる一部の学生を動員して交流することになりました。これは私にとって、地方NZ公立校の思っていた以上の保守性を見る思いでした。
ご存知のように、近年、NZの公立校では外国人留学生を受け入れるようになり、その数も徐々に増えているようですが、その対応はどんな風になされているのでしょうか。MBASの場合は、まだ具体的な対応策は出ていません。ですから、2年前に英語の一言も分からぬ我が家の3人が転入したとき、MBASはおおらかに受け入れてくれたものの、充分に対応しきれないものがありました。私の子供の場合は、これまでひとえに子供を受け持った担任の先生の努力によってカバーされてきましたが、それでも一部の先生方の間では、まだこの小さな国際化に戸惑う向きがあります。
またこの地方の特徴か、父母間にも、都市の一部に見られるような教育熱や国際交流熱はあまりありません。15歳で学校をやめる子も多く、子供の中には、義務教育が終了する頃には勉強への関心も薄れ、科目によってはそうしたやる気のない生徒が授業に集中せず、先生が手を焼くケースも多々あります。そうした状況ですから、学校側もアカデミックな方向で学校を発展させていく事に、今ひとつ消極的のようです。そして国内・国際交流と言えばスポーツが主流になり、特に高等部になるとスポーツの交流に力が入ります。
でも、そうした学校側の姿勢とは反対に、今回啓明学園を受け入れた子供達個々の反応は、それは積極的・意欲的なものでした。素朴な子供達が、始めは恥らいながらこわごわと、ついには眼を輝かせて異文化の刺激を受け入れていくのを私は見たのです。これは、5月に3人を日本へ連れて行ったときにも感じた事でした。ちょうど都会から来た日本の学生が、フィティアンガの自然と素朴さに感動するように。 啓明学園の高校生がいた1週間、教室に行くと、子供たちはひとしきり、私に日本人ホームステイの話をしてくれました。 もらったプレゼントの話、習った日本語の話、スケボーを教えることになった話等々。そして、日本人学生を交えた日本語の授業も盛り上がりました。その日私は、彼らが良い意味で刺激を求めていると感じました。
この辺りでは、12、3歳から喫煙や飲酒を始める子も多く、10代の妊娠率も高いようです。その原因は色々ですが、一つには、年相応の文化的刺激が乏しいこともあるのではないかと私は思うのです。日本へ行ってきたスコットが、「学校もフィティアンガもとても退屈だ」と言い、多くの若者が、退屈しのぎに毎週パーティをやってはエネルギーを発散しています。そして、そのどの子もが皆実に素朴なのです。
2年前の秋に、東京からフィティアンガの大自然に移り住んだ私達は、以来、都会で失われてしまった人間の基本的生活に戻り、感動することしばしばでした。 でも、その素晴らしさを本当に必要としているのは、実は都会から来た私達なのかもしれません。
今フィティアンガは、早春を告げるワトルの黄色い花が満開です。
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