10月の第一日曜日からDay Light Saving (デイライトセービング=夏時間)は始まり、NZ中の時計が1時間先へ進みました。 ですから今、日本との時差は4時間です。これは、夏に向けてますます長くなる日を有効に使おうというもので、遅く日が暮れる分、省エネにもつながります。 そして夏の間、遅い時は夜の9時ごろまで日が沈まず、子供たちは夕食後に学校のプールへ行ったりします。 今はまだ日没が7時半頃ですが、フィティアンガの人々のアフターファイブの生活はこれからどんどんアクティブになっていくでしょう。
先日ローカル紙の一面に「イルカが一時帰還」という記事が写真入で出ました。 フィティアンガの湾には長い間、2頭のイルカが住んでいて、町の人々に大事にされてきました。 町の桟橋から湾内を見渡すと、よくイルカの背びれが見えたそうです。 またこの二頭は愛嬌者で、よく湾内を移動するヨットや漁船と追いかけっこをしたりして、人気を博していました。 それが今年のイースター頃から急に姿を消して、皆を心配させていたところ、この10月にひょっこり戻ってきたのです。 ニュースには一時帰還とあり、すぐにまた外海へ戻って行ったようですが、それでも「皆さんのことは忘れていませんよ」とばかりに戻ってきたイルカたちに町の人々は喜びました。
NZの人々がイルカや鯨を、ことのほか大事にするのはご存知と思います。彼らはこの二つの哺乳動物に特別な親しみを感じ、惜しみなく援助や救助の手を差し延べます。 このフィティアンガのイルカにも、長い間私財を投じて保護・調査をしてきた人がいます。
先日も、町の東に位置するマーキュリーアイランドに鯨の一群が迷い込み、多くの住民が救助に駆けつけました。鯨の群れは年に何回か、色々な理由から間違ってNZの海岸の浅瀬にはまり込みます。 今回は一頭の病気の鯨が海岸の浅瀬にはまり込み、結束の固い鯨の一群は仲間が死ぬまでそばを離れずにいるので、次々と浅瀬にはまり込んでしまうのです。 ですから救済には、いち早く病気の鯨を探して殺してやり、残りを海に戻します。 しかし鯨の巨体を海に戻すのは難事業です。 鯨の体の周りを掘り込み、満ち潮をもって押し出す作業は時間が掛り、大概は多くの犠牲の鯨を出します。 今回も結局47頭の鯨の群れのうち、23頭が死にました。 その中には子供を連れた母鯨もいたそうです。 こうした作業はすべて周辺住民のボランティアで行われます。
NZでは、住民の間にこのようなボランティア精神が行き渡っており、特にフィティアンガのような小さな町では、多くのことがボランティアで賄われます。 ざっと数え上げると、町の救急隊・消防隊・海山の救助隊・老人への給食サービス・ソーシャルサービス・町のインフォメーションセンター・図書館・学校の各種行事等です。 我が家の隣人パットも救急隊のメンバーで、もう7年も救急車の助手をやっています。
フィティアンガには医者が4人いますが、大病院はありません。 ですから何か起こると、車で1時間半のテームズ病院へ運びます。 現在、救急隊には26人が登録され、彼らは二人一組で常にポケットベルを持って非常時に備えて待機しています。 パットも週1回のデイタイムと月1回の週末を割り当てられて、ベルの呼び出しに備えます。 さらに彼らは毎月2晩の救急医療の講習を、これもボランティアの看護資格者から受けて、やけどやお産の処置・人工呼吸の仕方・救急車の器具の取り扱い等を繰り返し勉強しています。
ボランティアの中では、救急隊・消防隊等はある程度専門訓練を必要とする特殊なものですが、私のように子供が3人いる主婦にもそれなりに参加できるボランティアがあります。
その一つが学校の校外教育における父母のボランティアです。 他校との対校試合に出かける子供たちの運搬・キャンプや修学旅行の付き添い・料理番など、小さい子供を連れて父母たちはどんどん参加します。 私も何回かこれらに参加しましたが、感じたのは皆が義務感でやっているのではなく、やりたい人が楽しんでやっているということです。 そこには何の気負いもなく、ごく当たり前の生活の一部となっています。
こちらに来て私の中で、ボランティアという言葉のもつ意味が大きく変わりました。
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