私の住む人口4500人の町フィティアンガは観光業と漁業の町です。このあたりの海では鯛やクレイフィッシュと言われるロブスター(伊勢海老)がよく獲れ、町の魚工場からは活〆の鯛や冷凍の伊勢海老が日本に輸出されています。ですから町には漁師たちもたくさん住んでいるのですが、これはその漁師から又聞きした話です。
その人は伊勢海老の漁師でフィティアンガ周辺の海のあちこちに伊勢海老捕獲用の かごを仕掛けて、定期的にその仕掛けにかかった伊勢海老を集めてはフィティアンガの波止場に戻ってきます。それぞれの仕掛けから集めた伊勢海老は船の生けすに入れてフィティアンガの波止場に持ち帰るのですが、波止場に着いた時にはせっかく獲った伊勢海老はほとんど船の生けす中で死んでしまうそうです。
でもある時、彼は船の生けすにオクトパスを一匹いれると伊勢海老が死なないことを発見しました。オクトパス(Octopus)とは英語で蛸(たこ)のことです。ある時、彼は仕留めた伊勢海老と一緒にオクトパスを1匹生けすに入れたそうです。そして波止場について船の生けすを開けると、生けすの片側にオクトパスがは張り付いて伊勢海老をにらみつけていて、反対側にはすべての伊勢海老が集まって敵から身を守っていたそうです。その生けすの中では帰りの航海中に一匹の伊勢海老がイケニエとなってオクトパスに食べられていたそうですが、残りの伊勢海老たちはその恐怖を乗り越え、全部生きて波止場に着いたそうです。この話を聴いた時、私はそこに生きる上での真理を見たように思いました。
もし私たちの人生に何のチャレンジも困難もなかったら、私たちの人生は幸福だろうか。健康に恵まれ、容姿端麗、優れた能力を持ち、経済のために働く必要はなく、完璧な家族に守られ・・・、もし人生に何も問題がなかったら、いったい私たちはどう生きるのだろう。どうやって幸せを知るのだろう。空腹を知って食べることの喜びを知り、人とぶつかって初めて自分を知り、生活のために働いてお金のありがたさを知り・・・と考えていくと、やはり人間には常に人生のチャレンジが必要なのではないかと思うのです。問題を前にして人はやる気を起こし、乗り越えて自信をつけ、成長していくのではないでしょうか。
今、私たちは世界的なコロナと言うオクトパスに直面していますね。こうした危機に直面するとき人はその本質を試されるとも言われています。人間はことに及んでその最善の知恵を絞って危機を乗り切る勇気と力を持つのではないでしょうか。
そう思うと、人生のオクトパスには感謝ですね。
マクリーンえり子
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