一馬くんがエバコナに留学してくれたのはもう10年以上前のことです。日本の大学を卒業して、23歳の時に海外に出てみたいと思いエバコナに11ヶ月程留学してくれました。自然に囲まれ、のんびりとして大らかなニュージーランドの生活環境が一馬くんにはあっていて、ニュージーランドではとても楽しく過ごせたと言います。また、その間色々な人との出会いもあって違った考え方や生き方にも沢山触れ、自分自身がどうやって生きたいのかという事についても考えさせられたそうです。その後日本に帰国してしばらくはアルバイトをしますが、どうしても日本での生活が忙しくて窮屈に感じてしまった一馬くん。そのため、自分にもっとあったライフスタイルを求めて再び海外に目を向けます。そこで見つけたのがパラオでのツアーガイドの仕事でした。日本人観光客の多い、南太平洋の島パラオで4年程日本人観光客のためのツアーガイドとして働きます。パラオはニュージーランドと同じようにのんびりとしたリラックスした環境で、自分のペースで自分らしく生き生きと仕事ができたと言います。しかしその後、結婚を期に医療機関があまり充実していないパラオを後にする決断をします。
日本に帰国てから関西で就職をしますが、どうしてもパラオでの生活とのギャップを感じてしまったそうです。仕事内容にはやりがいを感じて仕事をしていましたが、お子さんも産まれてお父さんになり、なかなか休むことができない日本の職場で働き続けることに疑問を感じはじめます。そんな時パラオで知り合った昔の同僚から、総務省の過疎地域制度の地域おこし協力隊の仕事を紹介されます。そして広島の近く、瀬戸内海の上蒲刈島に家族で移住を決心します。そこは人口1400人、平均年齢が70歳という島で、一馬くんは仕事を通して地域の方たちと一緒に町の花壇に花を植える美化活動から、島の特産物をもっと多くの人々に知ってもらうために朝市をはじめる等、様々な取り組みをはじめます。また、年末には門松作りをしてそれを販売するということにもチャレンジしました。自分のアイディアを生かして様々な角度から地域活性化活動に努めることができる今の仕事に一馬くんはやりがいを感じています。もともと農業が盛んな地域でしたが、若い人がいなくなってしまい農地が沢山残っているという土地で、今後は地域の特産物である柑橘類を育て、国産の柑橘類の販売や柑橘類を使った新しい商品開発等、新しい特産品の開発にも励みたいと言います。過疎化に悩む地域で、日本の素晴らしい土壌と気候を生かして、日本の食卓に安全で美味しい食べ物を届けるべく一馬くんは今日も新しい事にチャンレンジしています。
コメントを残す