東京生まれ東京育ちの恭子さんは東京で銀行員として働いていましたが、仕事がハードで残業も多く、激務だったため、健康面で不安を感じるようになったそうです。また長く実家に住んでいたこともあり、新しいことにチャレンジしてみたい、外の世界を見てみたいと強く願うようになりました。そして考えた末、思い切って海外へ出ることにします。仕事を辞めてニュージーランドに来た恭子さんは3か月間エバコナの一般英語コースで勉強をしてくれました。ニュージーランドでは大好きな海や自然に囲まれた環境で、趣味のマラソンを自分のペースで楽しんだり、ロッジではじめての一人暮らしも体験する等自分のやりたいことに次々と積極的にチャレンジします。そうした生活を通して自分の気持ちに正直に生き「イエス」や「ノー」をはっきりと言うことの大切さ、またチャンスをつかむためには積極的に「今」動くということの大事さに気が付かされたそうです。
ニュージーランドから帰国して東京に戻った恭子さんは自分の好きなスポーツに携わる仕事をしたいと思い、日本体育協会に就職し、そしてオリンピック選手やプロのスポーツ選手のトレーニングを行う国立スポーツ科学センターに転職しました。しかしラッシュアワーの電車に揺られて通勤する日々を過ごすうちに、大好きな海や自然に囲まれた環境で暮らしたいと感じはじめたそうです。そんな時に毎年マラソン大会に参加していた宮古島と石垣島の間にある多良間島での地域おこし協力隊の仕事を見つけて応募しました。そして美しいサンゴ礁に囲まれた人口わずか1000人程の多良間島で恭子さんは地域おこし協力隊として新しい生活をスタートします。多良間島では大好きなマラソンを地元の子供たちや走り始めた大人の方たちと一緒に走ったり、島の特産物であるサトウキビを使った黒糖の商品開発等に力を注ぎました。3年間の任期を終えた後も大好きな島に留まりたいと思った恭子さんは島の役場に臨時職員として仕事を継続しましたが、その後東京に本社のある食品会社に就職し、島に留まって仕事ができる道を見つけました。恭子さんは今もその会社で多良間島特産のサトウキビ等を使った黒糖商品の開発や広報マーケティングの仕事につき、地元の人々と協力して島の未来のために新しい商品の開発に励んでいます。それは多良間島の人々や環境をよく知る恭子さんだからこそできる仕事です。
「チャンスは自分でつかむ」「自分の気持ちに正直に生きる」。ニュージーランド留学を通して学んだこの教訓が今を生き生きと生きる恭子さんの中にはしっかりと根付いています。
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