るりさんは18歳の時にエバコナに留学をしました。高校受験で頑張り過ぎたるりさんは燃え尽き症候群になり、ノートを開けたりペンを持つだけでパニック発作を起こすようになってしまったそうです。同時に自律神経失調症も発症し、学校に行くことが苦になり学校に行けなくなってしまいます。そんな状況で自分の部屋で過ごす事が多くなり、高校3年生の終わりになってしまいます。周りのお友達はどんどん進学先を決め自分の道を見つけていっているのに自分だけがやりたいことも見つからず、取り残された気持ちになったるりさん。そんな時、親に助けを求められないような遠いところに行ったら今の自分を変える事ができるかもしれないという思い湧いてきて留学を決断したそうです。
留学してみて、はじめの一カ月は順調だったのですが、緊張感が薄れ始める一カ月後、また段々と学校に行けない日が出てきます。しかし学生ビザの保持のためには出席率を90%以上に保たなければならず、ビザを失って帰国したくないという思いが逆に良いプレッシャーになって学校に行けるようになります。そして学校に行き始めるとだんだんと学校が楽しくなったそうです。仲良しのお友達もでき、留学で経験する色々な体験をお互いに話す事が増え自分の気持ちを人とシェアするという事もできるようになります。日本にいた時は自分の殻にこもってお友達にも自分の気持ちを言えなかったるりさんですが、親元を離れてニュージーランドで暮らすことで彼女の中に大きな変化が生まれはじめました。
日本いる時は自分に自信が無く自分は間違えているという不安が常にあり、なるべく目立たないほうが良い、自分の意見を言う事は悪い事だと思っていたそうです。しかし、自分の意見をストレートに言い合うニュージーランドの社会で正直に生きる事の心地良さを学び、またリラックスして寛大なニュージーランドの人々に囲まれてだんだん肩に力を入れないで生きられるようになります。またニュージーランドでフラット(一人暮らし)で自炊する生活も経験し、それを通して自立心を身につけ少しずつ自分を信じる事を学んでいきました。
るりさんはエバコナで2年間過ごしましたが、ちょくちょく落ち込むるりさんをみて、ある日、エバコナの校長のマクリーンが助言をします。そしてその時に言われた言葉がるりさんのターニングポイントとなります。それは「人のために何かをするという事から人は生きがいを見出す」という事です。それを聞いたるりさんは「自分は人のために何ができるだろう」と考えました。そしてエバコナを卒業していく生徒の似顔絵を描いて最後の日にプレゼントするというアイディアにたどり着きす。るりさんの描く似顔絵はとても人気で、受け取った卒業生はみんなエバコナでの良い思い出として大切に持ち帰るようになりました。こうして「人のために何かをする」という行為からるりさんは少しずつ自信をつけはじめたのです。
エバコナの一般英語コースで学習し、IELTSを取得し卒業したるりさんは首都ウェリントンにある専門学校のア―トコースで半年間の短期コースを修学ます。日本人のお友達やスタッフが近くにいてくれたエバコナとは違って周りに現地人しかいない専門学校でるりさんははじめお友達作りに苦戦し、とても落ち込んでしまう時期があったそうです。しかし、そんな中でもエバコナの2年間で培った自分を信じるということを思い出し、気持ちを立て直すことができました。半年間の専門学校のコースの後、るりさんはニュージーランドの南島で生まれて初めて働くという経験をします。始めの頃は厳しいボスに叱られて泣きながら仕事をたそうですが、諦めず頑張り続けた結果、仕事を辞める時には「あなたは今まで雇った人達の中で一番良くやってくれた」と言われ大変惜しまれて辞める事ができたそうです。この経験もるりさんにとって大きな自信となりました。
その後、日本に帰国したるりさんは日本で大学に入学したいと考えます。そして立命館大学の国際関係学部に入学しました。この学部を選んだ理由はプレゼンテーション課題が多い学部だという事で、観客の前でスピーチをするという事への苦手意識を克服したいと思ったからなのだそうです。高校までは人前に出る事すら恐れていたるりさんですが、留学を通して本当に大きな変化と成長を遂げました。留学は自分の人生を大きく変えた中身の濃い経験だったと話してくれました。
今はその大学も卒業し社会人として働くるりさん。大学卒業後、京都で接客業や事務職等の仕事を経験して、今年からは長く住んだ京都を出て故郷の九州に戻り新しい職場で仕事をスタートするそうです。ニュージーランドでの出会いや体験はるりさんの宝で、今でも昨日の事のように沢山の思い出が鮮明に迫ってくるそうです。これからは自分の体験を人とシェアし、同じ悩みを抱える人たちの助けになりたいとるりさんは最後に明るく力強い笑顔で話してくれました。
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