昨日の9月28日からニュージーランドは夏時間に移り全国の時計が1時間先に進みました。これからの半年間は日本との時差は4時間になります。 9月に入って確実に我が家の庭には春の気配が漂い始めました。鳥たちのさえずりも一段と賑やかになったように思います。私はコロナで全国が自宅待機になってしまった3月のロックダウン以来、秋、冬と通して毎朝犬と庭を歩き、祈りと賛美の時を持っていたのですが、鳥たちのさえずり川のせせらぎもそれに唱和してくれているようで、私はその時間を宇宙賛歌の時と呼んでいました。
ところが9月11日の朝、いつものように庭を歩き始めた途端、私は石の階段のところで滑って転んで右足のくるぶしを骨折してしまいました。人生で初めての骨折で、激痛ではあったものの訳も分からず、「多分く足をくじいたのだろう」と思い、這うように自宅に戻って安静にしていました。でもどうも様子が変なので医者に行き、レントゲンを撮ると折れていることがわかり、急遽ハミルトンの大病院に運ばれ手術となりました。病院には前後5日間いて、退院し、今は自宅療養しています。病院では右足のひざから下をしっかりとギブスで固められ、6週間ギブスは取れないと言われました。そしてその間右足を使うことは厳禁なので、帰宅してからはニー・スクーターという右足を座席に固定して左足で漕ぐというスクーターを借りて室内を移動しています。
でもこうしてギブスをはめて動けなくなって初めて、これまで自由に動き回って、宇宙賛歌もできて当然のように思っていた自分に気づきました。私は三浦綾子さんの作品が大好きなのですが、最近、「難病日記」というのを読み返してみました。69歳でパーキンソン病になってご主人に介護されながら生きる日々をつづったものです。昔読んだ時には自分があまりにも健康だったので、「ああ、すごい信仰だなー」とは思っても、実感がなかったと思います。でも今の状態で再読してみると、自力で動けないというパーキンソンの症状の日々を三浦さんが感謝してつづっている文章に感動します。私も今、夫に助けられながらの日々となって初めて、人生に感謝して謙虚に生きるという事を少しだけ知ったように思います。
その本の中で三浦さんはフランスの哲学者アランの言葉を引用して「自分が幸福に生きるためには、他人のためにあらん限りの努力をすべきである」と書いています。そして三浦さんご自身は体力の限りを尽くして口述筆記で物を書き続け、亡くなった77歳までこの地の平和を祈り続けました。私ももうすぐ70歳になるのですが、今回の骨折は私にとって「しばし静まって、残る人生の生き方を考える時」だと気づきました。感謝ですね。
今、世界は揺れています。各国々の政治経済は乱れ、コロナもまだ収まる気配がありません。ニュージーランドも労働党政権の下で今年はまだ国境を封鎖したままで、多くの中小企業がその影響で閉鎖に追い込まれています。その労働党政府が10月の総選挙で再選されれば、2021年はニュージーランドの経済はますます低迷することになるでしょう。
でも歴史を振り返ってみるとどの時代も人間と社会は問題を抱えてやってきています。しかしどの国のどの時代もその問題を通して人間は学び、乗り越えて、新しい道を開いてきました。人間は自分たちが作り出した間違いをも通して学んでいくのでしょう。三浦綾子さんの「難病日記」の中に「病をも神が命じ給うならば」という言葉があります。三浦さんの魂は難病を通してますます磨かれていきました。人間は楽を通しては学べないという事なのでしょう。
Nishikawa Hitohiro says
Facebookで先生が骨折したというのを見て驚きました。私もこの間、けがこそしませんでしたが転びました。年とともに転びそうになることが増えています。先生は特にじっとしていられない性分ですので足の骨折はさぞお辛いことと推察します。
コロナで日本も一般人は鎖国状態です。早くこの状態を抜け出たいですね。