藤沢雄太くんがニュージーランドのエバコナに留学したのはもう16年前の事になります。日本の学校ではいつも周りと合わせなければいけない、みんなと違っていると疎外感をを感じ、それが自分には合っていないと感じ、もっと自分の知らない世界を見てみたい、自分と違う価値観の人たちに会ってみたいと強く願うようになり留学を決心します。そして雄太くんは中学を卒業して2005年にエバコナの高校準備コースに入学しました。それから1年間エバコナで英語力をつけながら11年生(高校1年生)を学習して、翌年2月の新学期から現地高校の12年生(高校2年生)に編入します。雄太くんは現地高校では大変積極的で海洋学を勉強してダイビング免許を取ったり、ニュージーランドで有名な高校生の体験プログラムであるSpirit of New Zealandというトリップにも参加しました。これはニュージーランド全国の高校から集まった40人の高校生が大きな帆船で10日間ニュージーランド近海を航海するプログラムです。雄太くんはそのトリップを通してチームワークの大事さを学び、また様々な価値観の人々と出会って素晴らしい刺激を受けたと言います。旅から戻ってきた雄太君は校長のマクリーンに「素晴らしかった!俺はこの旅に参加するためにニュージーランドに来たのだと思った」と言ったそうです。
雄太君はニュージーランドの高校を卒業して、もっと沢山の違った価値観の人たちと出会うめに世界旅行へ行こうと決心します。そしてそのために卒業後にはまず故郷の北海道に戻りホテルで2年ほど働いてお金を貯め、世界旅行へと出発しました。その時の雄太くんの旅行のテーマは「夏を追いかける旅」。12月のオーストラリアを皮切りに、太平洋周辺、ニューカレドニアやイースター島等を周り南米へ渡ります。チリやボリビア、ペルー等の南米諸国を旅して周った後、アメリカの西海岸に行きました。そしてアメリカの次にヨーロッパへ渡ります。ヨーロッパでは南米やアメリカ等で出会った沢山のヨーロッパからの若者達がヨーロッパでの宿泊を提供してくれ自分の故郷を案内してくれたので、限られた予算の中で旅する雄太くんにとってありがたかったそうです。ヨーロッパの後トルコ、ギリシャ、ヨルダン、そして中東の国々を回って最後にインドに行きつきそこから雄太くんは日本に帰国します。
旅行中は本当に沢山の一期一会の出会いがあり、その一つ一つがとても貴重だったそうです。日々新しい出会いの連続で、そのたびに自分の事を積極的に人に伝えなければならず、コミュニケーション能力や積極性が磨かれたと言います。また、雄太くんが海外へと飛び出す時の課題であった「自分とは全く違った価値観の人々と出会いたい」という体験はますます雄太くんの視野を大きく広げ、自分は自分らしい人生を貫くという自信と確信を得たそうです。
旅行から戻った雄太くんは北海道に戻り、以前働いたホテルで1年ほど働きます。様々な人々とコミュニケーションをとる事のできるホテルでの接客業を通して、今度はもっと自分の国である日本を見て回りたいと思うようになりました。そのため、石川県、長野県、横浜等のリゾートホテルでも働いてみました。横浜のホテルではブライダルの仕事も経験したそうです。しかしその後、家族の事情で北海道に戻り家業であるそば粉の生産会社で働く事になります。そこでも新しい事に積極的にチャレンジし、ルート営業、新製品の開発、海外進出等、様々な事にどんどんチャレンジしてみました。家業の仕事をして5-6年経った頃、雄太くんの中で新たなターニングポイントが訪れます。すでに結婚もし、2児のパパにもなっていた雄太くんですが、30代になりこれからの人生で自分がまだやってみたい事は何だろうと考えた時に、もう一度自分の原点に戻り、自分の好きな事を模索したそうです。そこで「食」というものへの自分の情熱、そして一つの事に集中してコツコツと取り組む事が好きだという自分の気質に気が付き、今こそ一生もののスキルを身につけたいと思ったそうです。そこで雄太くんが着目したのがパン職人でした。もちろん将来学んだスキルを活かして自分で起業するという目標のもとでの新しいスタートです。そんな雄太くんが選んだのは素材や技術にこだわったパンを作ることで有名な東京都内にあるパン屋さんでした。
今までの安定した会社勤めの生活から子供や家族を抱えながらのパン屋弟子入りという新たな決断に「戸惑いは無かった」ときっぱりと言い切る雄太くん。自分が親になってみて新たに沢山の学びと気付きがあり、自分の人生の目標が更にはっきりとしたそうです。食を通して地域のために、未来のために自分は何ができるのか。「食」というテーマから雄太くんの新たなる挑戦がこれからはじまります。
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